2010/04/29

磊落

2010.04.28 晴れ

08:51京都発の特急で舞鶴へ。年に一度の挨拶。今年も一年お世話になったお礼を申し上げる。深謝。現地の情況を伺えた。18:00すぎにM氏とS氏と3人で会食。約1年ぶりにお会いした。おふたりの会話はおもしろく、酒も美味。痛飲。豪放磊落な話題から礼節、政治, 文化, スポーツ, 車などテーマは多岐。M氏は微妙なテーマに鋭く切り込んで最後は必ずご自身をオチに使って笑わせる。その会話術は妙であり、ぐいぐい引き込まれる。S氏の冷静なツッコミも絶妙。

0:05京都発の最終で帰宅。車内は満員。京都駅のホームもちょっとしたラッシュアワーかと思えるような混雑。

舞鶴への往来車中、『歯は命とつながる臓器―それは、脳のセンサーでもある』 村津 和正 を読む。賛否で判定するなら圧倒的多数で否が多いかな。自分は賛否を判定する気はなく(否、判定する基準を持ってないから埒外)、歯科医療のひとつのスタイルと受け止めて読んだ。充分楽しめた。検索すると手厳しい情報がヒット。コンサルタント業界のナカの人は100%存じ上げている(と思う)某大御所先生と並んだ写真を発見。ああ、見る人が見ると、「ああ、なるほどね」と判定されてしまうかもしれない。ビミョーって便利な表現だ。

A先生がおっしゃる見解をB先生は全力で否定してもおかしくない。見解の範疇が治療技術の場合、否定の基準は優劣に依拠されるみたいだから、否定の仕方が激しい。たとえA先生は自信満々であっても、B先生は治療技術の優位性を誇示してダメ出しする。そういったシーンはあちこちにあると思う。

他方、見解の範疇が治療技術じゃなく仮説? 概念? みたいな領域だと、それは医療じゃないよと強烈な批判を浴びせる感じの論調。科学と疑似科学の仕訳に似てるかってイメージを一般人の自分は抱く。

言った、喋った、伝言した、伝える.... などなどの行為はちゃんと単語を発声してる。だけど、それぞれの単語の意味は計り知れない。例えば、会話の途中、"認識"と発声したとき、両者が理解する"認識"の意味が完璧に一致するなんて少ない。

だから、「伝える」と「伝わる」は異なると理解できてるはずなのに、「伝える」と「伝わる」の距離は限りなく近くであってほしいって願ってしまう。その願いが希釈された「伝わる」が、「ああ、あの件、伝えておいたよ」の「伝える」で、これは、伝言したよ、に置き換えられて、おまけに、「99%伝わってる」と解釈できてる。「伝えるー伝わる」、ーの距離が短い、ほぼリンクしているニュアンス。

一つ一つの単語の意味、それらが接合された文章の意味、文脈の意味、そして物語全体の意味、意味は一次元ではなく、意味がメタになって多次元な世界だ。多次元の世界から自分は理解できる意味をナイフで切り取ってくる。ナイフは感情や経験、思考の仕方、機能ナイフなら語彙力とか。切れ味鈍いナイフを駆使して切り取った意味は、相手が望む(相手が伝えたと認識する)構図ではなく、事態は複雑系、バタフライエフェクト。

医療のナイフを持つ人は、代替医療のナイフを持ちたくないかもしれない。あるいは、一つの機能ナイフとして手に入れる人もいるかも。また、患者であれば、医療と代替医療のナイフを手に入れたけど、やっぱり不安で宗教のナイフを購入することもあると思う。先生は医療で世界を切り取り、僕は宗教で世界を切り取ったらどうしたらいいのだろう。

伝えると伝わる、待つ、それらは主観だ。自分以外の人が観察すれば、伝えても伝わったとも、待っているとも表現できないかもしれない。ナイフも同じ。多次元の世界を自分のナイフで意味を切り取り、次元を少しずつ下げていく。多次元から低次元へ下がるプロセスは主観。

主観とナイフを世界へ表現すればいい。なにより行動すればいい。でもナイフは対象を切り裂ける。たとえ、僕が持つとても悪い切れ味のナイフでも対象を切り裂き、カンタンに傷つける。

流出

2010.04.27 雨

WPの制作。WPにのめり込んでいるから、WPをアゲたくなる。WPでサイトを制作すると、携帯,iPhone,iPadなどからのアクセスはちゃんと表示できる。プラグインとJSを駆使すれば、問い合わせ, マップ, ページ管理, SEOがパッケージ化できるから、効率よくマネジメントできる。商品やサービスを変更したとき、サイトやナビゲーションの設計変更にまつわる対応はフレキシブル。ブログとページを明確に峻別して、かつ、一体感を演出できる。すごいよいCMSだと思う。

日大で個人情報が流出した。新聞サイトが報じたので事実確認できたのだろう。ただ、新聞サイトの報道を読むと、個人情報の中身はかなり抑制されているな。ネットはすでに祭りで、とんでもないって書くのもカワイイぐらいの個人情報が晒されている。シェアの中身が空想の物語じゃなく当人の記録なら日大医学部は腐敗をスルーして事実は小説より奇なりも真っ青な出来事が日常茶飯事でお茶漬けかよっ。

シェアにうぷされたので、たぶん二度と回収できないだろう。アングラ系はもとより週刊誌のライタはそれを手に入れられるし、電車の中吊り広告キャッチを今から考えている専門職もいるな。

キンタマやキンタマ関連ワームの感染祭を眺めるたびに発火するニューロン。なんで、交換するPCに対策してないんだろうって思う。LANを物理的に切り離して真っ白なHDDに交換だけインスコしてあとは何も残さず専用真っ新PCを立てる、とか対策してないんだろか。一度うぷされた流出は二度と消せないリアルを持ってないんだろうか。2点が毎度シナプス。

自分はそういった手間がメンドイのでもうやってないし、次から次と進化する交換系は追いかけられなくなったので、シェアやCabosから野良を落としてない。Cabosが違法じゃなくて、野良を落とすのが違法であって、そのあたり、報道は交換や共有のソフトへ誤解を与えている。

17:00 F社のH氏と飲食ミーティング。21:00前に終了。H氏は、「シンクセルくんのブログを読んだり打ち合わせすると考えさせられる」と評価してくださった。自分の視点は自覚できても比較できない。評価は他者の手元にある。○な評価に凸、×な評価に凹、○×評価に律して耐えられる時もあったとしても、不動心からほど遠く、常に心は不安で揺れ動く。

H氏を鏡にすると自明が現れる。人は自分の視点が承認されたとき、不安の皮を一枚剥ける。中にある自信の実をつかみ取るため。他者の存在は、自信の実を包み込む不安の皮を剥いてくれる。他者の承認。他者の承認がもたらす効力をH氏は気づかせてくださった。

H氏を鏡にした時、もう一つの自明が現れる。相手に承認を明瞭に伝えること、自身の想いを表現すること。伝達と表現の源はよりよい関係をリンクさせてたい熱意、対話への情熱。H氏が承認を明瞭に伝えてくださり、ご自身の想いを表現してくださったから、17:00までと違う自分が今ここにいる。

H氏の視点と自分の視点、起点の差異を互いが認識できたとき、新しい着眼と発想が対話の中から生まれる。着眼と発想は思考へ誘導する。

2010/04/27

流通

2010.04.26 晴れ

F社のログ解析とページ制作。先方からページの意見がまだメールされてこないので、他のタスクにとりかかる。SEO沈思黙考。テクニックを理解できても実践は別。 さらに結果の検証方法も経験を積まないと。テクニックの理論と実践と検証方法、それらは直列と思っているんだけど、違う様相を見せたり。ああ、ややこしい。例えば、自分のサイトの場合、ドメイン"thinksell.net" をホスト名"www"と"blog"で運用してる。wwwはデザインリニューアル中で更新を小休止。二つのサイトのアクセスが月毎に増減しているような。wwwのアクセスが多い月は、blogが少ない、これがほぼ1ヶ月続き、翌月入れ替わる。たぶん、気のせい、科学的なアプローチじゃなく、単なる感覚だけど、こういったよくわからない要素がやっかい。

職安のDB, 38歳、営業経験なし, 普通免許取得(ほとんど運転していない)となると、DBの検索は、自嘲ヒット。資格や経験、中途採用、新卒などいろんなタームが空中浮遊。タームがヒトを選別。さぁ、そのシステムのバグを発見して、どうつつくか。

大手量販店のサイトからMacを購入できなくなった。どのサイトでもAppleの意向と説明してある。店舗販売は今までどおり。ネットでは賛否両論、比率は否が多し。調子に乗るな、宗教、今に痛い目に遭うなどなど。先頃のiPhone OS 4 SDKの規約変更もあって、ただいまAppleは批難先。

Apple米国本社副社長を務めた方のツイートによると、かつて日本法人は、「1997年12月3日から1999年9月までの改革で、全国3,500の取扱店を、98店舗に減らし、流通コストを圧倒的に削減した。そして製品価格を大幅に引き下げた」との由。公取の調査を受けて最後はよくここまで改革しましたねとの評価を受けたとか。

今回の大手量販店のサイトへの「意向」は何なのか、ユーザは推測するしかない。推測と情報収集から自分の感想を出力したら、出力先に感情が付加されて、賛否が発生する。事実を確認できないのでつらい。自分は製品を良いと判断しているので買うな(信者と評価されるけど....)。

改革(って単語は忌み嫌われるようになりつつあるかも)や急激な変化は受け入れられにくい。ユニクロも当初はさんざんこき下ろされた。推理小説や小説でも、革新的なプロットやアイデアでデビューしたら批判されまくり。でも、それがやがて受け入れられる、違うかな、チープな言い方すれば、時代が追いつく(うわ、すごい陳腐)と、彼、彼女たちを追いかけはじめる。

報道は推測と事実の後追い。THE UNITの第1シーズン 第1話の言葉、「ニュースに真実なし」は的のど真ん中でなくても中心からわずかに外れたポイントを射ている。(情報ソースの秘匿は絶対、は異論なしだけど)推測で書いたり、過去の事実と現在を対比させて、故意に歪曲を浮かび上がらせたりするような報道のテンプレート表現を解読せずに読んでしまうと、とてもアブナイ。

推測と意見と事実、それを峻別したいけど、あいにくその能力を自分は持ち合わせていない。もどかしい。だから、情報にアクセスするときは、充分な車間距離を保っていないと、こっちの頭がさらにバカにされちゃう。限られた、おまけにポテンシャルを期待できないリソースがますます減っちまう。

書店で 『歯は命とつながる臓器―それは、脳のセンサーでもある』 村津 和正 を購入。今からとても楽しみ。

2010/04/24

通念

2010.04.23 曇り

23日から寒波が南下するよって予報がちゃんと当たった。東京は10℃ちょっとらしい、58年ぶりの寒さ。真冬並とか。二日前だったか、25℃の夏日で半袖から外套。大津市も寒い。冬物のクリーニングよもう一度、な特需があってもおかしくないな。コンビニではおでんが売れて、ホクホクとか。

O先生のサイト制作。サイトからの患者はモチベーションが高く、意思の疎通をはかりやすい、なんて一昔前のテンプレートを改めて先生から伺えると、嬉しい。アクセスは最重要事項なのでSEOするけど、やっぱり、患者と医院の運命的な出逢いをマッピングしたいと常々思う。ずっと続く関係を支援できたことを幸せに思う。

19:00、M先生のミーティングに出席。今回から取引先のM氏が参加されるようだ。新しい視点のアイデアは活力を生む。すごくよかった。同時に利害関係も生じる。新しい視点と利害関係、バランスを保持できるか、否か。変数が増えると、ミーティングがもたらす学びの力が削がれかねない。と危惧も案ずるより産むが易しで、新しい視点はさらなる学びへ誘うとも。ギデオン曰く、「お前はお前がしなければならない仕事をしろ」を肝に銘じておかなきゃ。

韓国人男性が554人分の子ども手当(年間約8,600万円)を申請した。数百人単位の一斉申請の「事実」を確認したのは初めてらしい。4月6日付厚生労働省の通達にもとづいて、窓口は申請を却下したが、タイ政府が発行した証明書も持参していたとの由。

報道は、明確な「基準」が曖昧で問題点を指摘。報道のテンプレートへはめ込み批判する。中でも「社会通念」に手厳しい。でも、「社会通念」の怖さを現場で体験すれば、報道記者も納得するんじゃないかな。あっ、二元論な報道のテンプレートは、曖昧な社会通念上を理解したいと思わないか。

会計事務所で働いてた頃、「社会通念上」が頭上で戦闘状態。領収書と帳簿を完備して、いつでも税務署OK、な経営者の顔は真っ赤になって真っ青のリトマス試験紙芝居を打つ。社会通念上からかけ離れた経費は認められない可能性が高いわけでして。で、この場合、社会通念上の範囲が狭いと感じる側と広いと判断する側の押し問答、駆け引き、それから折り合いがつけられる。社会通念上の適用如何によって、税金が数百万、数千万単位で変わるとなると、お互い必死。

社会通念上は、それ自体が独立して存在する物質じゃない。現場の現象に適用する人の側が抱く概念。ただし、窓口の人は独断できないから、上様にお伺いを立てるかもしれない。社会通念上の運用範囲は広い。良識と知性を備えた人が社会通念上を運用すれば、現場は混乱しない。反面、頭が"大きく"躰が"小さい"人が社会通念上を与えられると恐ろしい。

20代前半の頃、社会通念上を怨んだ。それが15年の馬齢を重ねてますますバカになると、社会通念上の便利な概念やねって受け止めてまう。さじ加減一つで、美味にも不味くも。

『双調平家物語 13 治承の巻2』 橋本 治, 『哲学ノート』 三木 清 を購入。『窯変 源氏物語』 を読んで、今回の平家物語でも再び感じたこと。言葉を使う姿勢。正しい日本を知らない、でも、美しい日本語は感じられる。

2010/04/23

歓迎

2010.04.22 雨

職安のDBを眺めていると、ラインから一度外れるとラインへ戻りにくい社会システムだなぁ。折しも茂木先生のブログでは編集者の5人が退社した、と書いてあった。ご自身はこれからは野生だ、フリーランスだと主張しているので応援していらっしゃるが、なかなか事はそう上手く運ばない様子が垣間見られる。自民党は、新卒を採用した企業に100万円の補助金を出す公約を検討しているとか報じられてが、暗澹たると政策のお手本だ。

O先生のサイト制作と並行して自分のWPを実験。PC, iPhone, 携帯、それにiPadからのアクセスに備えるようテンプレートを改修中。ブログヘラルド日本版サイトの記事「ピザのようなブログにしたいんです」を読んで、YESって合点。エントリを妥当な長さに抑え、シンプルな文章を綴り、すべてのメジャなウェブブラウザとOSで適切に表示されること。マイナなアプローチでもねぇ、ウェブの変化へ対応しやすいと思うよ。

Appleが2010年四半期の決算を発表。売上高は前年同期比49%増の134億9,900万ドル!! 純利益は同90%増の30億7,400万ドル!! 売上・純利益ともに過去最高の四半期決算になった(クリスマス商戦を除く)。S・ジョブスは、革新的なiPadに続き、今年はいくつか並はずれた新製品を用意している」とコメント。iPhoneが過去最高の業績に貢献している中で、Macの存在がスルーされがち。四半期、新規乗り換えユーザが増えたらしい。WindowsからMacへスイッチ。Macはウィルス感染しないなんて豪語しないとしても、感染リスクは低い。入信して周辺機器もAppleで揃えればネットワークやプリンタの設定、ファイル共有もラクチン。F先生の医院を拝見していて、改めて痛感した。

そういえば、先日、Apple本社があるサンノゼのバーでプロトタイプの次期iPhoneが発見され大騒ぎになっている。次期iPhoneが並はずれた新製品かどうかみんな心待ちしているみたい。

Wired.comの報告によると、Wired.comへアクセスするモバイル・ユーザの約8割はiPhoneだった。それがiPadが発売されてわずか3週間で、iPadユーザが26%占めるようになった。iPhoneからの乗り換えが多いと思うけど、革新的なデバイスがもたらす衝撃。

FacebookのCEOのキースピーチの記事によると、今後のウェブはソーシャル関係がハイパーリンクと同等、あるいはそれ以上の存在になる。さらに、SNSとモバイルはとても相性がよい。Facebookは1億のユーザを獲得するのに5年かかった("かかった"と表現してよいのかなぁ)、携帯で1億のユーザを獲得するのに3年。来年あたり1年で1億のモバイル・ユーザを獲得できるかも。

20:00 M先生の食事会へお招きに預かる。T先生の歓迎会。M先生, T先生, S氏, Y氏, H氏、計6人。食事しながら皆さんの様子を拝見できて、とても嬉しかった。今後のミーティングでも役立てられそうな様態も伺えたので心が和んだ。気づかせてもらえる点が多い。適度な緊張状態を自覚できるので安定した振る舞いを提供できる。他方、今までと異なる空間を経験する不安もあって、安定と不安をハンドリングする能力が自分に問われている。深謝。

2010/04/22

動詞

2010.04.21 晴れ

東京は25.5℃、夏日。先週の土曜日は積雪。まぁ、こういう年もあるね、か、異常気象か、どっちに反応する人が多いのだろう。23日からは再び低温情報とも。寒気が東から西まで流れ込むらしい。野菜が心配。

いちばんはじめに咲いた赤のチューリップが 幕引き。ちょっと失敗。チューリップは、花が枯れる前に、花を摘み取ってやると球根の根が越年できるかもしれないらしい。見惚れてしまって摘み取るのを忘れていた。

F社のページ制作。ネットで検索していると、集客するためにリソースを注いで運営しているサイトとそうでないサイトを判別しやすくなった。一つは、HTMLとCSSのコードやAjaxやPHPのパーツが出揃い、入手しやすくなったこと、もう一つは、SEOの情報へアクセスしやすくなったこと、2つのおかげで、「あっ、やってるな」と判別しやすくなったと思う。

知っている人が見ると判定できるレベルはもう数年前に終わっていて、今のサイトは、一般のユーザが訪問しても何となく感じ取られるレベルに達しているなぁ。もちろん、偽装もあるわけで。

つい最近も、9年前ぐらいに手がけた京都の小売業のサイトがリニューアルしていた。当時、自分が四苦八苦して制作したサイトよりすごくよくなっているし、コードを見るとコンパクト。ショッピングカートのシステムは自前で用意しなくてよくなったし。

サイトはMTやWPなどのCMSを利用して、簡素な外装、フレキシブルな設計で運用する。なぜなら、今のウェブのスピードを考慮すると、外装はスピードに合わせて変化できる作りのほうがよいと思う(第一印象の重要な要素はごもっとも)。外装へリソースを注ぐより、とにかく、静止画像・動画・テキストを使ってコンテンツを迅速にアップする。そして、YouTube, Flickr, TwitterなどWebサービスを使ってインタラクティブなチャネルを構築する。携帯や他のネット端末向けアクセス。

今のウェブはCMSとWebサービスのおかげで、「名詞」から「動詞」で表現できるようになった。現在進行中の様子をアップしても違和感がない。ユーザはそれを楽しんでいる。

2010/04/21

直観

2010.04.20 雨のち曇り

完全独り生活最終日。残された時間を思い切り過ごそうと躰が脳をたたき起こす。06:00前に勝手に目が覚めた。お腹がとてもすいたので起きられた。お腹がすいて起きる感覚は久しぶり。やっぱりこの感覚はとてもよい。

午前中、O先生のサイト制作。昨日のF社のナビゲーションを流用。今度は、はじめからJavascriptを書いてみた。プログラムはできないけれど、書籍を参照しながらコードを書いて、プログラムが作動すると嬉しい。コンピュータにミスがないわけだから、正解のコードを書けば、動作してあたりまえなんだけど、それが当たり前と思わず、おお、動いたと思ってしまう。

午後から、F社のページ制作。画像を作り直したいし、ログをサイトへ反映させたい。それには、サイトの設計を少しずつでも変更しなければならない。焦らず焦ろう。

今日も雨。野菜の価格をなるべく暗記していると、異様な価格を目にしたときだけ目がぴくんと反応できる。全品目の価格を暗記できないし、関心の高い野菜だけに絞られる。それに、10,20円の上下に気づかない。まだまだ修行が足りないみたい。

イオンが関東方面で規格外の野菜を売り出すらしい。規格外なので安価。今まで少量に小分けして、ちょこっと野菜なんてネーミングをつけていたけど、反応はイマイチだったのかも。規格外を確保できれば、全国でもやり出すらしい。

どうして規格外をもっと販売しないのか、って憤る人がいるかもね。確か、輸送コストの問題だったと記憶している。規格をクリアした野菜と規格外の野菜を同梱すると、スペースが生まれ、大量かつ効率的に物流できないからとか(正誤は知らない)。今は、ロードサイド小規模店舗、中でも特に道の駅の野菜売場がコンビニを追い抜かす勢いに成長して、おそらく、規格外や地産地消は、そっちで格安で販売されていると想像する。だから、すわ、野菜が高騰して困った、だから規格外を売ろうと腰を上げても量を即確保できないのかなぁ。

現象学を駆使した推理小説 『バイバイ、エンジェル』 笠井 潔 の中で、本質直観の下りがある。近代精神の文法は観察と推論と実験であり、この一連の操作が真理への唯一の道だという確信。観察された事実を論理的に配列すれば唯一の道をたどって確実に真実へ到達できる。それを、砂糖を固く握りしめて扉の近くで死んでいる被害者の比喩で説明する。

しかし、近代精神の文法と真実への到達の確信は、間違いではないれけど正解でもない。真理への多様な道の一つでしかない、なぜなら、一つの推論と論理的な配列は、それと同等の権利を持つ無数のシニフィカシオンが存在し、そこには無数の解釈が存在しうる。にもかかわらず、彼、彼女は、正しく独断し、正しく論理的な推論へ飛躍できるのか(むろん、彼、彼女が選択した仮説が、他のどの仮説よりも論理的に妥当だからだ、なんだけど、その反論は完璧に予想しているみたい)。

アインシュタインは相対性理論を頭の中の映像で直観して、それらを数式化したと放言しちゃったら、専門家の緻密な反論がたくさんあると思う。

本質直観の概念や運用を完璧に理解していないし、扱い方を知らないので、言葉遊び心で触れると、大やけどしそうだ。でも、誘惑にかられる、矢吹駆シリーズに引き込まれる。何で? 現象学と本質直観は、ミーティングの最も根本的な問題を提示している、と自分が強く錯覚しているからだな。何かわからない、正解を掴み取る頭脳を持っていないけれど、その何かわからないものを何かわからないままにしながら、言葉をアウトプットしたい衝動を自慰する、無知の核へ近づける欲望を知覚できたのかもなんてね。

2010/04/20

懲悪

2010.0419 雨

04/16 (金)から始まった完全独り生活は、04/ 19(月)で終了。本日、いよいよ最終日。雨、終日、降った。 1週間前に買ったラベンダーは、少し背丈が伸びた感じもするが、気のせいか。

終日、F社のページ制作。今まで制作してきた画像を仕上げて、テキストを編集。ログを考慮してキーワードやコードを変更。あと、ナビゲーションもjavascriptしたいので、サンプルをDLして改変。Firefox, Safariの表示結果が良好だったので、鬼門のIE6で表示を確認すると見事撃沈。もう一刻も早くIE6は消えて欲しい。感情的な表現を冷静に書くと、IE6を市場に送り出したMSにF○ckだし、この一つだけでもMS嫌い。OSを否定しないけど、IE6はMeよりヒドイよ。

欧州の空が停滞している。茂木先生のブログやtwitterを読んでいると、混乱の状況やホテルの宿泊費の高騰が伺えるし、自然相手にジタバタしてもしょうがない感じも受け止められる。

報道は、空の混乱を伝える。一つの現象に存在する多次元の空間を、報道のやり方で自分たちの次元へ分解して物語を作り伝える。旅行者やビジネスマンの足止め、各国首脳の活動麻痺、航空会社の経済混乱、物流への影響と経済の損失、スポーツなどなど。空の混乱をどう受け止めているか。当事者か傍観者、立場の見方は当然異なる。

当事者と傍観者の中間にいるような集団は、空のシステムが同時多発で麻痺すれば、資本主義経済へ与える影響は甚大であることをシミュレーションしている、とも想像できる。超高度に設計されたシステムと移動ネットワークがダウンすると、状態は深刻なんだなぁと今回の自然現象で理解できた。だとしたら、22世紀は"移動"が鍵なんだな。エネルギーが開発されたら、移動の概念を書き換えるようなシステムと制度の設計が求められると思う。

閉鎖に対して、安全の次元から見たら妥当であり、経済の次元から見たら厳格すぎるかもしれない。見たことを語る「理路」もまったく異なる。安全は、自身を記述する様式を持っていて、経済も同じだ。ただ、互いを語る様式が違うから、双方、どちらも理路整然としてもどかしいのかなぁと自分は思う。

前から見るか後ろから見るか、横から見るか、上から見るか、下から見るか、(ほんの一例にすぎないけれど5つある)見方は、記述の仕方を変える。どこから見たかは知らないけれど、とにかく、無限の中から選択した?!見方が書いた記述は、無限の中の一つの内容でしかないことを理解しておかなければならない。見方(=次元)を変えると、常に別の解が存在するわけだから。不定もある。このあたりまえを自分は常に忘れていて、こういう風に書いておかないと、ずっと忘れている。

否、忘れていると云うより、あたかも存在していないかのように自分が振る舞う。ああ、桑原桑原。

2010/04/18

すべてを気づける?

2010.04.18 晴れ

「話が通じているよ」17歳の彼女は云う。

(エッ?! 噛み合ってないよ)「お世辞? どうしてそう思う?」と僕は訊ねた。「しゃべっていることを理解できるもん」

(理解? じゃぁ、疎通は?)「理解してもらえているなら嬉しいな。ありがとう」

「でも、どうして通じているの? お父さんは43歳だけど、通じないよ。あなたには通じている。ちょっとしか歳が変わらないのに」

(そうか、5歳下でも、お父さんと僕は"ちょっと"しか変わらないのか)

「わからないよ。ただ、括弧にくくるようにしているだけ」と僕は戸惑いながら答える。

「括弧に括るってナニ?」彼女の目は僕へ、口はカフェモカに接近する。

「21年分の記憶と経験を消去するってことかな。で、17歳の自分を想像する」

「想像? 思い出すのじゃなくて?」彼女の口はカフェモカへの接近を試みるけど、猫舌が接近を阻む。

「思い出す、はダメ。思い出すって、ウソの記憶を造る。21年の経験と思考は、理想や欲望を過去の記憶にすり込んでいる。すり込んでいるのは自分だけど、記憶は偽造されてから正式な記憶になるから。だから、消去する。もし、あなたが、僕との会話を通じていると思うなら、2人が折り合っているからと思うよ」僕は春を感じさせる彼女の洋服から目をそらした。

「折り合うって?」

「うん、えっと、21年を括弧に括った17歳の僕がいて、これからの21年をイメージしたあなたがいたとしよう。その2人がどの年齢で釣り合っているか知らないけれど、話を合わせられるようにがんばっているってことかな」

「38歳の私なんてイメージできない。イヤ。ゾっとしちゃう。自分が38歳になるなんてどんな気持ち?」彼女の舌はカフェモカを甘いとようやく認識できたみたいだ。甘さがしかめっ面にしたのか、38歳がそうしたのか判定が難しい。

「確かに。そのとおり。21年間をイメージしろなんて無茶かな。ただ、この歳になるとね、気づいてほしいって思ってしまうから。どうしてだろ? 自分が何かを始めたとき、例えば、クラブへ入部したとき、お稽古に通ったときとか、何にもわからず不安だったはずで、先輩たちは不安を少しずつ取り除いてくれた。なのに、自分が先輩や教える立場になると、気づけよって苛立ってしまうのは」

「わからない。でも、それってワガママだよね」

「我が儘? なぜ我が儘?」

「だって、大人は気づけよって言うけれど、じゃぁ、大人はすべてを気づいているの?って思う。お父さんは私のすべてを気づいているの? 先生はすべてを気づいているの? だから説明して、教えてってお願いしたら、逃げちゃうし」

「なるほど。逃げるか。確かに逃げてるね。17歳から今まで連続しているはずなのに、断ち切っているのかも。それに、すべてか。すべての定義が必要だけど、すべてを気づくって意味を考えたことなかった。そうそう、あっ、山本五十六って知ってる?」

(シマッタ。これはマズイ)

「知らない」彼女の唇が戦闘態勢に入った。カフェモカを飲むためじゃないのは一目瞭然。

「昔の人でね、"やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ" "話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず"って言葉を残したんだ。でもね、コレって、座右の銘になったりするんだ。大人って言葉が好きなのに、言葉を尽くして話し合うのは避けたがるよね」

「座右の銘ってキライ。座右の銘をしゃべって満足している人が多いような気がする」

(ヤラレタ)

「まぁ、そういう人もいるかもしれない。とにかく、気づいて欲しいってワガママはステキな指摘。だって、そうか、そうか。気づいて欲しいって願って、気づけば、問題なんて発生しない。問題が発生するから気づいて欲しいじゃなくて、気づかないから問題が発生するわけで、だから、問題が発生するって苛立っていたら、自己撞着だ」

「マーくんって興奮すると、しゃべり方が意味不明だし。そいういうところちょっと苦手。1人で理解して1人で喜んでるし。なんかぁ、その興奮状態が、"オレの言いたいことに気づけ"ってアピってるみたいでッ。マーくん、自分で考えなさいってたまーにアドバイスくれるけれど、自分で考えるってナニ? ホントに考えてる? 本やネットの受け売りもあるでしょ? 先生も考えろって教えてくれるけど、考えるって意味をちゃんと話し合ったことないのに、考えろって言われても、なんだかヘンな感じ」

カフェモカの白い蓋に付着した淡色と間違いなく僕のデニムの裾をおらずに着こなせるはずの細い足を見ている僕はすでに自分で考えていない自分に気づいた。無限の気づきの中から僕が認知したたった一つの気づきが真実であるかどうかはわからない。

2010/04/16

延期

2010.04.15 曇りのち雨

三寒四温、どころじゃない。寒い。鹿児島市の最高気温は9.9度。1世紀ぶりの寒さらしい。自宅も寒い。暖房をONするまでじゃないけど、北湖の地域ではストーブ必須かも。

F社のSEO。ログを解析してランディングページやリンク、コードなどをカスタマイズしていく。Googleのアルゴリズムはページの表示速度を変数に組み込んだらしいとの噂だから、今後は、サーバサイドとフロントエンドの両方に精通していかなければならないかな。ちょうど『Webを支える技術 -HTTP、URI、HTML、そしてREST (WEB+DB PRESSプラスシリーズ)』 山本 陽平 を購入予定だったので、もう一度基礎から全体を勉強しよう。

奥様が金曜日から帰省するので、荷造りや料理に没頭していた。子供じゃないからアレもコレもと作らなくてよいよ、と声をかけておいた。でないと、なんだかんだと作り置きしてしまい、結局、食べられずってこともありうるので。久しぶりに完全独りにワクワクしているのを押さえきれず、カラダ全体が表現しているせいか、あるいは、オーラを発しているからか、時折、あやしげな視線を感じる。うぅ。といっても、読書と仕事しかしませんが。

iPadの発売が延期になった。当初は4月末(24日との噂もあった)。それが、5月末へ。理由は米国の売れ行きが予想以上(って発表しているけれど真偽はわからない)で、供給体制が追いつかず。確かに海外のブログの報告を読んでいると、どんどん売れているらしく、また、iPadの利用シーンが報道されているらしい。たぶん、電子書籍関連が大半かと。

何度も書いているように、後から検証した時、"アレ"がターニングポイントだった、"アレ"がパラダイムシフトだったとリストできる。でも、"アレ"がリアルタイムで進行していると、転換点や革命を認識しずらい。iPadが、"アレ"で、電子書籍の革命、あるいはデバイスの転換点と称されるかどうか、そんな視点から観察したい。

「考える」と「思う」の使い分けたいのに、両者の違いをきちんと吟味していない。単語の一つ一つをいちいち吟味して会話できないし、自分が使っている意味が、相手と同定か知らない。でも、やっぱり疲れるけれど、こういった些末な点、根っこの部分、当然な出来事を疑えるような心身でいたいと思う。いや、考える、アレ、願う、あぁ、待ちわびる、うわぁぁあ。

2010/04/15

熱狂

2010.04.14 曇り

北海道では積雪。4月の積雪観測記録を更新。14年ぶりの低温情報を発表。野菜は高騰。キャベツが一個258円! 今日一日で1ヶ月分ぐらい驚いた感じ。某報道番組のキャスタは異常気象や温暖化とリンクさせて、おかしいおかしいと首をかしげ たりしそう。チューリップは順調、室内のガジュマルもぐんぐん。ガジュマルはテーブルの上、朝昼晩の食事の時、目の前にある。毎回、観ているつもりで観察できていない。アレ、この葉って昨日はこんなんやったっけ? が毎日。

O先生のサイト制作。先月、先生の別宅でスキャンした資料を加工。先日、AdobeがCS5を発表した。Photoshop CS5の画像編集の様子が動画でアップされている。驚異的。これからのデジタル画像は、何が本当で何がコラかわからなくなる。まったくといってよいほどわからなくなる。今でも判別つかないけど。それでも、かなりの労力がかかっていた。その労力の対価は高く設定できたけど、あんなにカンタンに人を消したり足したり、象の鼻をねじ曲げたりできたら、労力の対価と説得しづらいよ。と思うのは商売が下手な自分だけであって、早く発売してくれ、と商売上手な人は願ってやまないはず、たくさんの人々が今か今かとワクワク。

雑誌やダイエットの表紙、化粧品のポスターを見て、本当の顔や躰、いや、本当という表現が適切じゃなくて、素のカラダというか、加工前のカラダと認識して見ている人はどの程度いるのかな。一度、統計を発表していほしい。街中の広告に向かって、フォトショ、フォトショとつぶやいて歩くと、奥様は、エッ、あれも?! みたいな顔してる。そんなものかも。

今度のCS5の画像編集は驚異的なら価格は強気。欲しいセットの価格は24万円超。学割なら10万円超。Adobeの価格戦略がどのバージョンまで通用するか、楽しみ。

YouTubeで松井秀喜選手の WorldSeries ring ceremony を視聴した。一番最後に紹介され、エンゼルスのユニホームを着た松井選手が MVPのコールとともにベンチからマウンドのジラルティ監督のもとへ駆け寄る。スタンドは地割れ。大声援。現地の米国人記者はそのシーンに目をぬぐっていたらしい。何人も。授与式の最後、ジータとの抱擁はとても印象的だった。ジータが松井へ向ける眼差しがとても柔らかく、互いのリスペクトを素人の自分でも理解できた。選手とチームに敬意を払い、ブーイングとスタンディングを繰り返して、紳士的に振る舞えるファンはステキだと思う。自分に素直になって、感情をぶつけ、楽しむ。でも、暴徒を拒絶する。まさに、自分自身がスポーツ観戦を楽しんでいる姿。騒ぐだけじゃなく、記録や攻略にも堪能で、玄人はだしな解説を控えめに披露したりね。すごく粋。

ファンって単語には、熱狂的な意味が込められているから「熱狂的なファン」は適切な表現じゃない、と耳にしたことがある。ロバート・デニーロが演じた『The Fan』は、まさに熱狂的だった。最近は、熱狂的な、とつける人が増えている印象。

我を忘れるほど興奮して熱中する、ってなかなかできっこないと思うってしまうと、すでに、「僕は松井秀喜選手のファンです」って名乗れのかも。あるいは、ファンの前に「大」をつけるってどうしてだろ? 大があるなら「中ファン」や「小ファン」があってもよいし、最近なら「特盛ファン」って名称もアリだと思う。が、なかなか出てこない。

2010/04/14

抱懐

2010.04.13 曇り

三井寺の事務所付近を散歩していると、鶯の谷渡りが聞こえてきた。先月、自宅の付近で啼いていた鶯は練習中だった。東海自然歩道が近くにあり、とても静かな場所なので、谷渡りが響く。風が少し強く、桜の花は自然界に存在する基本的な力を示してくれた。

今日も終日アルバイト。夜、終了。我ながら手際がよくなった。取引の癖や習慣を把握してきた証左。

夕方、イオンへ行く。イオンの掲示板へ目を通す。自分の想像力が乏しく、視点が狭いと再認識。掲示板に貼られた数々の苦情は、重箱の隅から概念の指摘まで幅広い。その時、その場所で、その人だけに向けられた行動が感情を起動させ、苦情の紙に怒りをぶつける。全体の80%はその苦情。15%は、陳列や品揃え、あるいは危険な場所の指摘など、現場の構造的欠陥を指摘。そして、のこりの5%は誰かを褒める。イオンにすればたまったものじゃないと思いきや、返答を読むと、そうでもないらしい。文書作成ソフトで返答の雛形を作成して、苦情の内容に応じて雛形の数カ所を変更している。上手くあしらっている。

『変な給食』 幕内 秀夫 [to Amazon] がおもしろい。極端な給食を掲載していると思うんだけど、写真とキャッチコピーを読むと笑った。でも、充分な衝撃を与える。びっくり。自分の頃の給食よりおいしそうだ。確かに。ただ、極端なメニューは、物質的な豊かさを象徴した給食。高カロリー、高脂肪、砂糖漬け。給食費削減と地元の利権に配慮したメニュー。大人の事情が色濃く反映されている。

食への興味、安全や安心の階層を超えた関心は、バランスを失うと信仰の対象になる。そういった方々が親になって、子供が食べる食品を見たとき、ショックを受けるし、何より行動させると思う。

社会が子供を守る、としたら、まずこの給食のメニューを何とかすべきと憤慨する人がいると推測できるし、あの衝撃的な写真は啓蒙と警告のシグナルを埋め込んだデフォルメなんだなって。

幕内先生によると、講演依頼が多い業種の第3位は、歯科医からだそうだ。えっ、なぜ?

人間ドックの検査結果を見たとき、自分の食生活をどこへ相談したらよいの? が第一の感想。内科? そんな時間をとってくれる? 栄養士の先生? どこ? 予防や生活習慣の記号は、あちこちに陳列してある。ありがたい。街中や医療機関、検索すれば必要な情報へたどり着く。でも、そこから先のパンくずはない。ひょっとすると、食や栄養、噛むことい関心が高くても、相談の仕方を知らない人々が多いのかもしれないなぁ。

食、とか、敷衍すると、信仰の対象になりやすいテーマは、賛否の両極を読まないとバランスを保持できそうにないな。たとえば、『死とは何か さて死んだのは誰なのか』 池田 晶子 [to Amazon] は、医者を痛烈に批判している。池田晶子先生を一知半解な知識と揶揄するのもアリだし、真摯に受け止めるのもアリ。自分はというと、同じ方向から同調するための読書もよいし心地よい。ただ、まったく異なる方向から極端な論理を展開する文章を読むトレーニングも必要。とても苦痛だけどね。

2010/04/13

相違

2010.04.012 雨

今日の雨は桜の花を枝から落とし、来年へ備えるよう促しそうだ。脳内にある桜と天候の記憶をクロス検索すると、満開の桜の前後。雨が降りやや強めの風が吹いている、との結果。正しい記憶より模造の確率が高いけれど、記憶はそのように焼き付けられている。

終日、アルバイト。淡々と作業をこなす。時計の長針の一周がはやい。数字の背景にある物語を想像する。30万円の利益に税率が40%だとしたら、12万円の税金を納付する。それでも手元に18万円に残る。これは、もっとも単純化されたモデルであって、現実は簡単ではない。現金と利益は一致しない。だから、節税と称して30万円使う。手元の資金はゼロ。資金は枯渇。次は借入。返済は利益を生み、キャッシュは流出。そして、またお金と利益は乖離(感覚として)。利益はあるのに現金がない。もっとも単純化された「ある」と「ない」のモデル。でも、このモデルを自分はうまく説明できない。理屈を説明できても、感情を説得できない。

『人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (上)』 スティーブン・ピンカー [to Amazon], 『人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (中)』 スティーブン・ピンカー [to Amazon], 『人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下)』 スティーブン・ピンカー [to Amazon] を購入。ピンカー教授の本は 『言語を生みだす本能〈上〉』 スティーブン ピンカー [to Amazon], 『言語を生みだす本能〈下〉』 スティーブン ピンカー [to Amazon] 以来。『ドーキンス VS グールド』 キム・ステルレルニー [to Amazon] への興味。どちらかの論陣へ加勢できるほど理解していない。そもそも相違を学問的に理解できていない。まだ、単なる情報をダウンロードしているにすぎない。いくら情報を脳内ハードディスクへダウンロードしても、それを知識へ加工して体系化の行程を経て学問へ発展できなければ無意味だと承知。なのに、読んでしまう衝動。

米国のドラマを鑑賞していると、二つの事柄を知りたがる自分に気づく。相違と文化。比較したい時、対象の基準を設定して。理路を発見、仕方を習得してようやく二つの対象を比べられるのに、何を比較して相違を知りたがるのか、自分が不思議だ。

文化を知りたがるのは納得できる。米国のドラマのプロットはしばし戸惑わせる。米国の文化や風習、宗教観が伏流しているから。理解したくても、理解のスタートラインに立てない。最近では、『クリミナル・マインド シーズン1 』[to Amazon] の第14話「死刑へのカウントダウン」がそうだった。死刑制度, 政治, 宗教, 心理, 文化など、幾層もの価値が織り込まれたプロット。プロットをそのまま受け入れて咀嚼したい。自分の知識を活用したい衝動欲求は、それを拒絶する。もどかしい。

相違と直面したとき、批評を与えず、目の前の現象を素直に受け入れて吟味する。相手へ敬意を払い、自分の矜持を表現して、相違を伝える。知識は、素直という1本の木を削り落とすために発明された道具だと思う。

2010/04/11

逃走

2010.04.09 晴れ

うまくいかない理由は自分ではなく相手の性質だ、と知らず知らずに断定してしまっているとしたら怖い。自分が気づいている、でも、相手は気づいていない、そんなシーンをたびたび自分が遭遇していくうちに、どうして気づかないの、の視点が欠落し、やがて、気づけと命令を伝達する。だけど、命令は一時的な認識の効果を生み出しても、その認識は育たない。回路が切断されたままだ。自分で気づく理路の種を生み出し、それを育てる。その行為は、自責と内省が出発点でなければならない、と毎朝の日課であるチューリップを観察していて気づいた。植物は強い、でも弱い。自分が水やりや手入れを怠ると正常な反応を示す。その反応に苛立つのは自分だ。

O先生のサイト制作。コードをイメージ通りに書けない。何がおかしいのか。初めて使うCSSのフレームワークの全貌を理解できていないからか。あるいはCSSのプロパティをちゃんと理解していないからか。原因を探索。この仕事が終われば、また一つ区切りをつけられる。

15:00前に出発してF先生の医院へ立ち寄って2時間ほど作業してから19:00にM先生のミーティングに参加。自分の思いを伝達すべきかどうか悩む。自分は雇用主になったことがない。従業員かフリーランスの経験しかない。その立場でしか雇用主を想像できない。だから、自分の想像や判定が適切か否か、相当に吟味しないと伝達できない。危険だから。ただ、今回の判定は吟味の仕方がまずわからない。そこに自分は悩んでいると分析している。

帰宅後、アルバイトの資料が届いていた。やれやれ。気持ちが沈んでいるのに。でも、作業はかえって今の自分に適当な仕事だ。会計事務所の経験とアルバイトのおかげで、経営の数値に対して二方面から接近できる。これは貴重な経験である一方、経営の数値を敬遠している方々からは理解不能だと思う。自分の状態が世間のデフォルトだと錯覚してはいけない。いちばん愚かな選択肢を選ぶハメに。

経営は人。それは事実。ただ、数字という現象が存在するのも事実。両方の事実は二つの事象ではない。一つだ。二つに峻別できない。にもかかわらず、片方に意識が傾き、片方が疎かになる、あるいは苦手意識から数字を敬遠してしまう。それはしょうがない。敬遠する回路を想像しなければならない。その想像を共有できればOK. 敬遠する人は、心理を自己評価する時間と空間と他者を設定できないでいる。出力された数字を見ても、観ていない、視ていない、診ていない。

『Self-Reference ENGINE』 円城 塔 [to Amazon] がとてもとてもおもしろい。ひさしぶりにジャケットだけで買ってしまった本。内容もあらすじも何も知らなかった。読み始めてひどくとまどった。時間と空間がバラバラになって、多義性を含み、多元層化した心象と事象の心理を言葉の直線上に載せると、(主観的な意味で)こんな意味不明な小説になるんだとすごく興奮した。言葉は時間に拘束され、かつ、直線でしか描けない。言葉がジグソーパズルのようにピースへ解体でき、かつ、文法にとらわれずに、マイノリティーリポートのUIのような単語の羅列が時空的に可能だったら、伝達の概念は書き換えるのかなと想像した。SFってまったく理解していないし、このまえ読了した 『虐殺器官』 伊藤計劃 [to Amazon] も視点と発想と着眼の勉強になった。

言葉は書くだけでは伝達できなし、話すだけでも伝達できない。得手不得手関係ない。伝える意思。言葉を尽くす情熱。だから、言葉から逃走したくないな。

2010/04/09

苦心

2010.04.08 晴れ

起床、即、チューリップを確認。赤色チューリップが開きかけていた。その1時間後、水をやろうとしたら開いてた 。ビックリ。アレ、さっき見たのと違うって感じがして、1時間前の映像をスキャンしたら、やっぱり違うと実感できたので、確信。貴重なシーンを目撃できたようで嬉しかった。

O先生の制作とF先生のDB制作。両方とも苦心。おもしろい。30代はウェブ制作で、40代は何をしているか。20代は会計事務所の職員だった。なんとなく、10年ごとに仕事を変わっていくような予感。否、願望か。わからない。また、それほど世間は甘くない。自分の思考や理路、感性も変化している。飽き性という致命的な欠陥を抱えているためか、どうも、同じ思考や理路に飽きる。1年前と同じ意見をブログに書いている、と後で読み返して気づくと凹。ああ、ヤダ。

iPadのレビューを読む。Wi-Fiの接続問題が発生して Apple discussion はタイヘンみたい。それを除くと、第一印象は手堅い。iPhone 3Gと似たステップを踏んでいる気配。次期バージョンはSDスロットやカメラが搭載されてもよいし。タブレットPCを研究したUIとハードの設計っぽい。

iPhone OS 4.0が発表されて、OSも着実な進化。先進的な印象を与えるAppleは、石橋を叩いて渡るタイプ!? 違うな、デザインを徹底的に追求した思想と行動の現れかな。それを自分が手堅いと思い込んでいるだけなんだろう。最初、徹底的に「削った」製品を投入して、ユーザの反応やシーンを観察して、どうしても必要な次期バージョンで「足す」パターン。

夕方、ATOKの辞書同期を悩む。ATOK 2009の辞書を複数台で同期したい。確実で安心な方法は、Justsystemが提供する ATOK Sync の ストレージを申し込めば、ATOK 2009 が搭載されたMacとWinの辞書を同期してくれる。今まで、コツコツ登録してきた辞書は、マシンより大切な財産。この変換効率に慣れているから、違うPCで入力するとひどく戸惑う。

Justsystemのストレージは月額315円。たったそれだけの金額で快適なFEPライフを手に入れられるなら払えばよい。んだけどね、月額315円はやっぱり高すぎますよ。お願いだから、パッケージに妥当な価格を上乗せして、標準機能で搭載してほしい。なので、なんとか違う方法を以前から模索。

WebDAVを用意すれば、Win同士ならマージする。なのに、Macはマージしない、おかまいなしの上書き。この問題を解決できなかった。何、この仕様。Justsystemのサイトは、UNIXのファイルシステムの場合、利用できません、って書いてある。そんなアホな話あるん、疑いのまなざし。

結局、Dropbox を使ってイレギュラな方法で同期できた。ちょっと気持ち悪いけど、しょうがない。かなり快適。PowerBook G4(まだまだ現役)とMac BookとMacBook Proの辞書が同期して、VMWare上のWINも同期。快適すぎる。

周りの方々にも標準搭載のFEP(MS I○Eとか)を使わずに ATOK をオススメしたいのですが、これぞまさしく余計なお世話と云うと思い、十二指腸あたりへしまい込む。

2010/04/07

自壊

2010.04.06 晴れ

朝、カーテンを開けてチューリップの蕾が開いたか確認。日課になった。まだかと待ちわびる。皇子山球場の桜は九分咲き、気の早いツツジは顔を出し始めた。『今日は死ぬのにもってこいの日』 [to Amazon] に、「春が冬に始まり、死が誕生によって始まることをわたしがうっかり忘れるたびに」という一節がある。ほんと、うっかり忘れている。うっかりどころか、ずっと気づかない。

O先生のサイト制作。口を開けると歯がある。歯は何で支えられているのか? うう、適切な疑問文を作成できぬ、云わんとするのは、歯が抜ける仕組みかなぁ。ああ、難しい。とにかく、口を開けた時、歯茎を透かして骨の構造をスキャンする人は少ないと思う。試着室で自分の内臓をスキャンしないみたいに。

先日、野洲の西友へ行った。アメリカの映画に登場するようなスーパーの売場みたい。通路が広い。快適。イオンとまったく違う。イオンは、通路に売れない特売品を置いて通行を塞ぐ。わざとか。カートがすれ違えないのでストレス。現場の人はストレスを想像してない。西友の価格は、イオンより10円程度安い。全品ではないけれど、食料品の価格設定は明確な意思を感じる。野菜や生鮮食品の陳列方法も違う。そういえば、平和堂は西友とイオンとも異なる陳列だった。

周りは価格に敏感だ。自分が想定している以上に。館内で「半額」が放送されると、その売場に人がやってくる。まず、半額に反応しているみたい。そして、その半額と商品を見てお得感を吟味している感じ。お得感が演出されていなければ、見ておしまい。

誰かが亡くなると年齢を確認する。自分の行動が不思議。意味のない確認なのに、数字に目をやる。数字が同年代だと感情と理性が急に喧嘩しはじめる。自分より上の数字だと理性が能書きをたれ、下の数字だと感情が暴発。メタな"誰"かは、無意味な葛藤が躰を支配していると観察するでしょう。年齢や病気に右往左往して、現象そのものを吟味しない自分、不思議な気分、納得しない意気、吟味の仕方を獲得しない怒気、そんな諸々の情感と記号が脳内で生成され、映像がジグソーパズル。

駅前で70代ぐらいの老人たちが旅館の送迎バスへ乗り込む。同窓会の文字。情景を目撃した瞬間、質感が記憶の引き出しから言葉を引き出す。「この年になると、同窓会で誰かがいなくなっていく」、アレ、見聞した場所を思い出せない。質感はそこまで親切じゃないのか。ザンネン。何気ない言葉は名言より記憶に残る。老人たちの笑顔がとてもステキだった。

ヒトは顔を認識する。幼児は顔を大きく描く。でも、詳細な部位を思い出せない。無意識はちゃんとインプットしていて、どこかにしまってある、と思う。だから、夢に見知らぬヒトが登場する。あれは、ほんと不思議だ。どこで見たのか、なぜ、その人の声まで再生できるのか。老人たちの笑顔とバスに乗り込む躍動感は壁紙にできるけれど、一人一人の顔はアイコンにできない。

ああ、もどかしい。

2010/04/06

範列

2010.04.05 くもりのち晴れ

チューリップの蕾が開きかけている。ひょっとすると夕方頃には、先端の接触が開放されているかもと期待。初めての球根チューリップ、植物のプログラムをまた実感。

O先生のサイト制作。イラレで歯と歯茎と骨の関係を書く。単純な図でも苦戦。この手の作業が苦手、よりも、やってないので、できない(に近い)。でも、今回はやってみたかったので、依頼を引き受ける。O先生が、すごく単純な図形でよいよ、とコメントしてくださったのもあったので。幸いと思いきや、苦難の始まり。なるほど、書いてみると、書籍や雑誌に掲載されている歯と歯茎と骨を素人は理解しにくいな、と理解したのは収穫なり、理由を尋ねられると返答に窮するものの、科学的かつ詳細な記述と3次元的図形よりも原理の説明に徹した太線2次元画像のほうが、感覚を体感しやすいかも。なんて。何事も立場に立つと見え方は変わる、ので、立場の呪縛を自身が解かなきゃね。ウン。

先日、iPadが米国で販売された。初日の販売台数は30万台超。これから専門家が数字の意味を解説してくれるので、のんびり待つ。iPhoneが"ない"Appleと"ある"Appleの決算を比較したグラフを見たら、決算を読まない人でもビックリだ。わずか数年で売上の3割強の商品へ成長。AppleはもうMacの製造会社じゃないわけで。

iPadが日本で発売されたら買うだろな。すぐに手に入らなくても、レビュでも読みながら待ってよう。日本の電子出版を期待すると倍返しで裏切られるので、まったく関心ない。英語の勉強のため米国の電子出版と、でっかいモブみたいな感じで使いたい。

入力やマルチタスクを勘案したら、AtomにUbuntuインストールした端末が出先用途と思う。でも、実体のライフを心象したら、ミーティングはiPhoneで録音、オフィスは使わん、メールチェックやネットはWi-FiでOK、エマージェンシーなネットはiPhoneな、ときたら、PCライクなモバイルライフの心象風景を描けません。なんでだろ。iPad物欲が脳内の映像をコントロールして書き換えまくってるわけか。怖いな。

iPhone+iPadなキーボードって開発されないかしら。例えば、iPhoneをキーボードにはめ込んで、iCabを起動してブラウジングしている間、iPadをドッグでつないでメール打つとか。そんなデバイス売れないか。OS 4.0はマルチタスクって噂だし。

iPhoneを購入してネットの生活形態が変化したように、iPadを購入して読書形態も多少変化するだろう。あと、あの端末を活用した「現場」が方々で誕生すると思う。iPhoneの解像度では実現しずらかったシーン。タブレットPCまでなんていらないよ、でも、iPhoneじゃ、ちょっとね、的な中間のレイヤがあるはず。それを想像してギークな方々が開発してくだされば、ワクワク。

自分の予想は、iCal+iPadで予約管理システムな。ボトルネックは更新の速度と入力。これにメールと画像診断を組み込んでOK。レントゲンと直リンクできたらなおよし。あれもこれもと妄想は拡散。

2010/04/05

調度

2010.04.02 晴れ

自宅近くの桜と観光地の桜は違う。違うからわざわざ遠くの桜を観る。群衆を承知で出向く。桜に限らず、チューリップも同じ。敷衍したら、雑草と植物園の対比が浮かび上がってくるな。自宅でほんのわずかな植物を育てるようになって、自分の観察の視点はずいぶん変わった。植物からたくさんの摂理を学んだ。

19:00 M先生のミーティングに参加。ほんのわずかな違和感。ミーティングのリズムが自分へ合わせられる。とても危険な兆候。経験が微少の変化を判定。自分がミーティングのリズムを変化させてしまい、自分へ焦点を合わせられるように調律してしまった後悔。ああ、やだな。こういった時の感情を処理できないので帰りの電車で戸惑う。

帰りの電車で遭遇する毎度の風景。ビールとつまみ。飲むと出るゲップ。酔うと忘れる口に手をあてないくしゃみ。路上の喫煙と車内の飲酒、不思議。何が違うのかな。命が脅威にさらされる度合い? 受動喫煙と無害(だと想定している)のほろ酔い。それにしたら、命を大切に扱うシステムがもう少し安定稼働してもよさそうだけど。喫煙を排斥して、医療を放置する。皮肉な話。

電車の車内は暗黙の前提があって、ひとつは安全。車内の誰かが、危険な行為を実行しないという前提。前提が暗黙でなくなった時、常時監視状態に陥ったら、不安定な車内へ変貌したら、と想像する。吊革や網棚に目をやる。通路に置かれたカバンを見つめる。何もない。何も起こらない。車内が暗黙の前提で安定して運行している状態、そのものが奇跡的な均衡だなぁと気づく。車内は無限の要素を持っているのに、危険の要素は排除されているらしい。

車内の風景を空想。30分が一瞬。50年後ぐらいの車内は、映画のワンシーンを実現しているかな。生体認証。網膜スキャン。スキャンされた乗客の属性はデータベースへ送信され、危険の確率が計算される。確率の結果、兆候が発見された場合、監視カメラが起動し、モニタリングされる。

ネットがもたらした、認証と一元化の概念。5億4千万もの郵貯口座の所得を捕捉できないな。捕捉できれば、普通預金の利息程度の財政赤字を解消できるかも、とかふらふら考えて、そうなれば抵抗は強く、でも、ますます拡散するIDを収集できず、いずれ、どこかで、管理の欲望が生まれると思う。

過去のある時代を切り取って、現代と比較したら、技術の進化と文化の差異を簡単に認識できちゃうけど、10年前と比較したら、グラデーションの色を見分けにくい。進化と変化の過渡期、じゃなくて、時間のまっただなかにいるんだけど、やっぱり自覚できないよ。まるでペーパーとペーパーレスが並行する職安みたいだ。逆らえないのに抗う新聞紙とか。

21:15 京都に着いた。空腹だった。よい兆候。お腹があまり減らなかったので心配していたところ。機能が安定したときの喜び。ちょっぴりの物足りなさ。

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2010/04/02

要訣

2010.04.01 雨時々曇り

今月のe-radio hot stuffは "never cry"。素敵な曲。1ヶ月の間、じっくり聴けるので嬉しい。FM77.0のプログラムが変更。終わりと始まり。よい感じと期待したプログラムが終わるとザンネン。始まりは期待。誰かがちょっぴり裏事情を吐露してた。ラジオはやっぱり厳しいらしい。スポンサが集まらない。自分の感覚は、これからのメディアはラジオ、って信仰しちゃってるから、現実との乖離。

22:00 > やましげ校長が退任する日、10代のリスナが掲示板へ殺到して書ききれず、 Twitterへ。そんな状態を観察していると、首都圏の高聴取率なプログラムとそうでない差なんだな。だって、A・O・Rだって2時間聴きたいのに1時間、邪推すると、FM77.0は残り1時間のプログラムを購入できる財力がないのと。うむ。

ウェブサイトに近い人、あるいはインターネット常時在中な人とかを除いた一般の方々は、ホームページのままかもしれない。ちょっぴり、極端な言い回しで云えば、PC+ホームページのセットがデフォルトで、デフォルト以外はネットでない世界。そこに差異がある。もう、ホームページはどこにもない(と思うな)。

2000年、自分のコンテンツをネットの中に置きたい、読んでほしかったら、ホームページ(適切な単語ではないので気持ち悪い)しかなかった。おまけにアクセスできる端末はPCのみ。

2010年、ネットの中に自分のコンテンツを置いて、そこへアクセスしてもらいたいなら、ホームページでなくてもよい。ああ、違うな。ホームページは不利かもしれない。twitterでよいしSNSでもOK。メールもアリ。これって10年前から激変。10年前を思い出せないし、ネットがなかった時代の休日の過ごし方ってどうよって。ケータイ, スマートフォン, ゲーム機, PCなどからアクセスしてくる。自分のコンテンツを紹介するコアを何で伝達するかを決めて、そこへ到達するようあらゆる端末へまき餌。ラジオはFAXからメールへ移行して、さらに今はTwitterへ移行中(もちろんFAXもアリ)。

2010年以降、インターネットでラジオが聴けるようになる。そうなれば、インターネットラジオ専用端末や機能を組み込んだデバイスが発売され、ネットへアクセスする端末がひとつ増える。そうなれば、今のような携帯でラジオを聴いて、曲名が表示され、気に入ったら着メロでDLなんて手続き踏まないな。サーバかクラウドにストック。anytime anywhere anyplace なアクセスで聴けたらって期待値が高い。

振り出しにもどると、"一般"の方々のライフスタイルは、2000年のデフォルトに近いかもしれない。善悪是非じゃなくて、テンプレート。その差異、というかタイムラグを埋める役割が、業者で商売。

夕方、近くのコメダ珈琲へ。新規出店。ファミリーレストラン風ウッドの建物で4-6名程度が座れるテーブル。ビックリ。客が次々へと入ってくる。最初、何ができたのかと思って近寄って、それが珈琲のお店と知ってエッ?! こんな場所で?!

で、さっそく入ってみて。納得。人と地域の生活空間の需要は不思議、おもしろい。とても勉強になった。理論に中指を突き立てる。

2010/04/01

不毛

2010.03.31 雨と曇り

職安のデータベースへアクセスして求職を検索してヒットしたのでクリックすると35歳以下が多い。大学卒業後3年以内は新卒扱いにとの提言。システム。そういうものだな。システムの中で機能して、制度や慣習が安定稼働していると気づかなくて、何かの拍子で外部から観察する眼を獲得したら、それらが不思議と感じる。奇妙だな。外部の眼と実体の遊離。

F先生のDB制作。どうやっても一つの障害を越えられない。ネットや書籍を調べても謎が解けない。まだまだ。でも、このプロセスがおもしろい。自分の性に合っているということか。

人間ドックで気づいた点。30-40代の受診者が少ない。60代以上かもしくは50代後半。なんだかおかしな感じがした。言葉で説明できないけど。乳がんや子宮頸がんの検診を啓蒙した張り紙が貼ってある。欧米は80%程度の受診率らしいが、日本は20-30%らしい。関心が低い? 受診料? これもまた言葉にできない奇妙な感情がゆらゆら。

すべての世代、すべての人を支援する政策は存在しない。特定の世代を優遇すれば除外された世代から苦情が出るだろうし、特定の層を支援すれば同。だから、優先順位なわけで、たった一つ理解できる事実は、命を守るシステムではないな。嘆息や諦観はない。ハードウエアが大好きなんだ。それを承知しているから、集団や徒党を形成して、なんとか自分たちは命を守るシステムに組み込まれようと頑張る。たぶん、今、そのあたりで、闘争の過渡期じゃないかな。あと数十年後ぐらいにはその闘争も終焉してほしいわ。

先日、自宅の近所のお店に強盗が入った。14:00頃。すぐ近く。翌日、その近辺を歩いていたら聞き込みされた。私服の警察官。警察手帳。状況の説明と防犯カメラの人相。手口。ちょっとヤバイやつ、なファーストインプレッション。怖いという感情がちゃんと起動した。お店や手口、状況から素人が推察すると、生活圏やろと訝る、味をしめたらまたやるんやないか、と思う。怖いよ、ほんと。地域の新聞やウェブ、携帯電話の防犯、ネットワークとメディアが稼働していれば、全国のニュースよりはるかにプライオリティが高い出来事。でもそうならない。

自分の身近で発生したときに感情は起動して対策を講じるけれど、遠く離れた場所で発生したら二次元の世界であり、想像で終わってしまう。想像はアリ、想像力はナシ。

検診と強盗がリンクしたから脳内ではちゃめちゃな状態になっているみたい。たぶん。そう、たぶん。

近頃、SH02Aの電源が落ちてた、と後で気づくことが多い。バッテリー切れ。iPhone 3Gのバッテリー管理はOK、月に3,4回はフルの充電儀式。電話に興味ないらしい。用途は、家族へのメール+Edy+iDだから、そうか、すでに電話じゃないな。そういうことか。