2010/03/31

放逸

2010.03.30 晴れ

久しぶりの晴れ。天気は穏やか。気温は低い。近所の桜は準備万端だぞと生命のプログラムを実行している。精密なプログラムに感嘆。近所のお宅の庭を拝見するとチューリップがもう咲いていた。15cm程度かな。自宅のチューリップより背丈は短い。

午前中、F社のページ制作の続き。商品の説明と概念の解説の違いを分けたほうがよいかな。たとえば、手作りのパンを販売するとき、ひとつの商品に掲載される内容は、特徴と原材料と価格でよいと思う。あとは、食卓を想像しやすい動的な写真。

ここで気をつけないと。特徴。概念まで踏み込んだらダメ。製法は別のページにまとめる。手作りの意味も別ページ。原材料の生産地の説明も同じ。そうやって、「今、ご覧のページは"何"であるかを、タイトルと映像とテキストから無意識に理解できる内容」を制作したい。

iPadが出荷段階。今のところ、Kindletと比較されやすい。電子書籍への期待の裏返しかも。購入した人が buzz はじめたら利用シーンを想像しやすくのかな。想像しやすくなれば購入のためらい壁は5mから3mへ。1m, 50cm.....ポチっとな。

関係各社は電子書籍やスマートフォンの市場へ力を注ぐ。仮に悲観的な立場に立つと、経営陣の頭が古い会社は、完璧に出遅れるかと。電子書籍の合同組織、昨日のスマートブックしかり(デザインは好き)。数を集めて自己満足。有名なデザイナを投入して失敗の責任逃れ。退路のバックドアをたくさん用意している。

今までの延長線上の視点から生活や製品を観察したい気持ちを抑えるって難しい。延長線上の視点のうち、残しておきたい視点を絞り込んで、あとはバッサリ削り落とす。削り落としってホントむずかしいよ。欲と不安を捨てなきゃならないし。

奥様が「最近、誰々を見ないね」とか「何々を聞かないね」と云う。芸能人や政治ネタが多い。で、「テレビ視てないから」と答えてお互い笑ってしまう。テレビやニュースを視ないから、乗り遅れてるんじゃないかと時々オロオロして、誰かとの会話で訊ねられたらとかドキドキするけれど、それより代え難い効用は、不快な気持ちになる頻度が減ったことなので、今後も続きそう。向こうから流れてくる文字と映像の記号情報に反応して苛立っていたみたい。勝手に反応して勝手に苛立って。で、自分を意味不明な感情へ陥れて。一人SM。自覚。

2010/03/30

鵬程

2010.03.29 雨曇り時々晴れのち雪

クリーニングから戻ってきたダウンジャケットをもう一度出したくない。クリーニングから戻ってきたセータをもう一度出したくない。天気は冬支度させるかのように季節を逆行する。ロベリアが越冬したのでネットで調べる。普通は一年草みたい、でも、きちんと管理して育ててやると越冬するとか。確率はどの程度なのだろう。自宅のロベリアは外に出したままだった。あとは水やりだけ。

F社のサイト制作。検索エンジン経由で訪問するユーザの立場で観察。初めて訪れた感覚をテキストエディタで記入。運営者や制作者は、「全体」を理解して、「部分」を構築。でも、訪問者は部分と全体を想定してアクセスしない。検索エンジン経由、キーワード検索なら、前提は検索の単語だ。前提にもとづいてページを認識する。ページの内容とユーザの認識の間に誤差は必ず生じる。その誤差を最小限にしたいな。

検索エンジン経由で訪問した時、違和感が残る点を分析して、ページを観察すると、不備に気づく。サイトの構成やページの内容は、運営者が理解できるになっている。反対だ。訪問者が理解できなければならないし、次のページへクリックさせる構成でなければならない。

今日、M先生のスタッフH氏がF歯科医院を見学しているはず(変更がなければ)。H氏はとても優秀な方と思う。自分が横に立ち、見学のポイントや気づきを一緒に吟味したいと一時考えた。けれど、それは適切じゃないと思いとどまった。今週の金曜日、H氏の素直な感想を伺ってみたいな。

F歯科医院での仕事が一つの区切りを迎えた。自分の中でも気持ちの整理がつき始めている。だから今まで以上に客観的に観察。それは危険な兆候だと自己認識できている。

自分の制作したサイトの中で、M社とM先生のサイトが最もアクセス数が高い。両者の共通点は、ブログを長期間継続されている点。ただし、問題もたくさんある。ブログ、というより、フランクでライブな物語を書く場をウェブサイト(商品やサービスの紹介)と切り分けて設置することは有用だと証明できた。継続が前提だけど。課題は、動的な物語と静的な商品の両方をリンクしながら継続して更新すること。それが難しい。

イオンへ買い物へ行く。イオンの現場はおもしろい。値引きのシールを貼るタイミングやセール。商品の陳列。品揃え。客の行動。レジの心理状態。情報だらけ。無秩序な3次元の情報を、定量と定性のふるいにかけ、一度2次元へ加工し直し、再度、3次元へ還元する。これらのプロセスをMECEで、結果を出す人がマーチャンダイジングの天才なんだろうなぁと空想しながら商品を選んでいた。

夕方、雪。虫の居所が悪いのか。気まぐれか。それにしてはちょっと驚かせすぎだろうと思う。

2010/03/29

目端

2010.03.26 雨のち晴れ

花冷えって今日のような寒さを云うのかな。躰が携帯のバイブみたいに震える。チューリップの球根は気温のジェットコースターを楽しんでいる。真ん中の奴は蕾が。

午前中から出発までF先生のDB制作。15:00前に出発。大阪の紀伊國屋書店で『Newton ( ニュートン ) 2010年 05月号』『λに歯がない λ HAS NO TEETH』 森 博嗣 を購入。λの版は第2版。発売日当日なのにそんなこともあるのか。

ちょっと訳あって4-5kmほど歩いた。大阪も寒かった。風が強く吹いていたから体感温度が低かったからかも。途中、マクドナルドで珈琲を注文して休憩。受付のオーダを聞いていると、テキサスバーガの確率が8割程度を占めている感じ。限定や物珍しい商品に惹かれる傾向が高いということ。

19:00からM先生のミーティング。22:30に終了。各医院でミーティングのスタイルや進行が違うから自分をそれらに適応させる。難しい。素直な思考で観察しようと意識する。意識している間は演技できる。演技が熱を帯び、夢中になってトランスすると、素直な自分が現れて、自分のスタイルを強要してしまう。これが素直ということか、と疑う。どっちが素直か。

M先生から頂戴するシュークリームは絶品。いつも同じ店で購入されているみたい。とても美味しい。シューの食感はパリッよりサクッで、堅すぎず柔らかすぎず。クリームの甘さもほどよい。バニラビーンズや香料をふんだんに使ったシュークリームがあって、それはそれで美味しいけれど、香りが強すぎで甘みを味わえなくなっている感じがする。でも、ここのシュークリームはそれがない。

4万年前のシベリアに未知の古人類が生息していた、とネイチャーで発表された。古人類という表現は原文のままなのかわからない。古人類は、現生人類やネアンデルタール人と異なる系統の人類であり、現生人類やネアンデルタール人の祖先と近接して暮らしていた可能性がある。ネアンデルタール人を除いて、現生人類と共存していた可能性があったのは、フローレス原人だけと考えられていた(フローレス原人の定義にも疑問は残るらしいが)。それが新たな可能性が見つかり、多様な人類が共存していた可能性が検討されるようなるかもしれない。

地球の時間で云えば、4万年前はつい最近だ。地球カレンダーの観点から記述すれば、我々の祖先はさっきまで異なる人類といっしょに暮らしていたかもしれない。『宇宙誌』 松井 孝典『われわれはなぜ死ぬのか ――死の生命科学』 柳澤 桂子 を読むと、「時間」が直線でなくなるような錯覚を味わえておもしろい。自分の「時間」の定義を書き換えられるたびに、自分の中で新しい視点を発見できる。新しい視点はアイデアの源。

2010/03/26

冷静

2010.03.25 雨のち曇り

06:00前に起床。06:00以降は水分摂取してはいけないので最後の補給。水を飲んでから排泄を祈る。体操したりウロウロ。07:30頃出発。07:50すぎに日赤に到着。すでに4人の方が待っていた。受付は08:00から08:30まで。受付番号は6番。以降、6番と呼ばれるらしい。なんだか映画の囚人みたい。08:15頃から人間ドックが始まる。10:30前に終了。1時間ほど滞在して水を大量摂取。昼食券を受け取り、昼ご飯を頂いて帰宅。

「何時頃終わりますか?」 受付で訊ねる質問を何気なく聞いていると、一番多い質問だった。時間が気になる。ゴールが気になる。人間ドックの行程表が、A4一枚に記載されていた。検査の手順と部屋番号。行程表を見ると自分の現在位置を把握できる。行程表の作成は苦労されたと想像。来院者の視点から必要な情報をA4一枚に掲載しなければならない。かつ、検査の最中、質問されないようわかりやすく表現する。

「次はどこですか?」「どうするのですか?」なんて聞かれたら検査は滞る。まさに流れ作業だった。ベルトコンベアの上を流れる商品みたい。次々と誘導される。検査だから質問はなるべく受け付けないような空気をとにかくつくる。相談は後日郵送される検査結果を受け取ってから、専門ダイヤルへ。デザインの勉強になった。

帰宅後、F社のページ制作の続き。夕方、京都へ。書店へ立ち寄り、『あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)』 テッド・チャン『双調平家物語〈12〉治承の巻〈1〉 (中公文庫)』 橋本 治 を購入。『日経サイエンス 2010年 05月号 [雑誌]』 日本経済新聞出版社 も購入したかったけど我慢。

18:00からF社のH氏とミーティング。接方来で議論。H氏の立ち居振る舞いが変化されていくプロセスを目の当たりにしてとても興奮した。善悪正否の判断を保留して、議論できるので感謝。だから、両者は「良い悪いの話ではないですけど」が口癖のように出る。社交上の対応で必要な言葉だろう。その感覚をきちんと受け止めて、H氏へ応える緊張感。

H氏は自身の言動について冷静になったとおっしゃった。冷静について前後の文脈を伺う。文脈の範囲内で自分は理解する。そうすると、H氏が口する「冷静」の意味や意図は、以前と異なる。そうやって単語と向き合う。その単語量は絶望的だ。一つ一つの単語が紡ぐ言葉の意味を吟味する。吟味の源は希望である。いつか通じ合える希望ではない。自分と異なる観点を持つ人を理解したいという希望。欲望。自分の観点へ引き込む、思想を押しつける、行動を要求する、善悪正否を迫る、を一切しない。しないよう自分を統制する。

言葉を出力する行程で体感するもやもや。そのもやもやを抱きながら言葉を交わす。言葉を交わせば交わすほど、自分と相手の差異が浮かび上がる。はじめは大きな漠然とした差異が、言葉を一所懸命積み重ねると、微細な差異まで際立つ。

昔、「ああ、相手は自分と同じだな」と思えた時、安心した。今は違う。「ああ、相手は自分とこんなにも異なるのか」と感じたとき、理解できたと喜べる。理解できたと、二つの円が、ほんのわずかに重なり集合を形成できたような。

今日、H氏への理解がまた一つ増えたかな。それがとても嬉しかった。

抛擲

2010.03.24 雨

二日連続の雨。洗濯できないのでちょっとため息。気温は2月へ戻ったかのようで、桜の蕾も休憩かも。気温の高低は躰に負担がかかるから苦手。でも、負担が躰を実感させてくれるから、ありがたいとも感じる。

午前中、M先生のサイトのコードを確認。アクセスログの読んで状態を最適化へ近づけていく。直帰率が下がらない。それが課題か。アクセスは増加傾向。午後からF社のページ制作。アクセスログの状態を把握しているので、ページの構成を考え制作。

今日は躰が疲れたので、夕方に切り上げる。その後、サーバのメンテナンスやログを眺めていた。サーバ周りの勉強。

M先生の課題本を読み続ける。脳研究者が「物忘れ」を専門的に易しく説明すると、周囲は興味を示さない。だから脳科学者やサイエンスライタが身近な出来事を例示して説明する。すると、関心の度合いが大きくなる。さらに、「どうすれば物忘れを防げるか」を提示してくれると、買いになると思う。「どうしたらいいですか?」という質問に回答できているからだ。それだけ「どうしたらいいですか?」という言葉は便利と推測する。また、それらの本はフローしやすい。書店→購入者→ブックオフ→購入者の流れ。

自分が課題図書を指定する番に回ってきたら、 『星の王子さま』 サン=テグジュペリ を選びたい。大人が読む本だと思う。子供の時、「たいせつなことは目では見えない」という言葉に出会っても素通りしていたかな。淡い期待をよせるとしたら、子供の誰もが備えている強い感受性は煌びやかな情景を脳裏に空想させてくれていたかもしれない。自分の場合、青年時代に読んであまり関心を示さなかった。大人になってから読んで意味を理解できた。もう素直に読めないけれど。意味を理解しようとする行為自体が素直でないから。

nikkei BPnetの「マナーのあるメールの書き方」を読んで、ああ、自分のやり方はマイナになるんだなぁと痛感。あきれた(批難するつもりはない)。お悩み解決しているご本人は、機械語の部分と人間語の部分を分別していない事実をたぶん自覚していらっしゃらない。

だから前提が異なる。議論の対象にならない。ただ、こういうマナーが常識に格上げされると、マイナの人たちはやりにくくなる。排除されていくだろうと思う。もし、冒頭の「「おたくの会社はメールの書き方もしらないのか」というお客様のお叱りがネタじゃないなら、すでに排除は始まっていると想定したほうがよい。自分みたいな必要最低限しか書かない輩は非常識ということ。

2010/03/24

宝物

2010.03.23 雨

少し左肩が痛い。合宿での枕が少し高かったからかも。ロベリアが越冬した。絶対年を越さないと思っていた。ただ、冬も水を毎日やっていた。青紫の小さな花が残っていたから。先日、雑草のようになっていた草を取り除いてやると、新しい葉が生えてきた。とても驚いた、生命力。

午前中、昨日の続き。K先生のUSBを復旧する。3日間の合宿の成果がUSBに保存されているはずだった。そのUSBが最終日壊れた。頭が真っ白になった。自分がもっとシミュレーションしていれば、前日にバックアップの指示を出せたはずだ。未然に防げた事態だった。

USBのフォルダはすべて文字化けし、作成したファイルは消失していた。その場で何が起こったかを聴き取り、状況を把握してできることをやってから、帰宅後、ネットで検索しながら慎重に作業をすすめた。

昼過ぎようやくUSBのファイルを復旧できた。完全ではない。一部のファイルは消失しているだろうし、ファイルの一部のデータは破損している。それでも、90%程度までは復旧できたと思う。それをFTPサーバへアップして、F先生からK先生に伝えてもらった。とにかく安堵。あとはK先生がなんとかリカバリーされると期待。

午後、『もの忘れを90%防ぐ法―「どうも思い出せない…」そんなときに効く! 』 米山 公啓 が届いたので、読み始める。M先生のミーティングで指定された課題図書。S社のページ制作。

先日、グレン・クローズ氏のゲノムを解読したと米バイオ企業イルミナは発表した。「「精神疾患の遺伝学的な側面を科学者が解明し、より効果的な治療につながることを望む」と、本人はコメント。家族に統合失調症の患者がいて啓発活動している。専門家によると、今後、解読のコストは1,000ドル程度までに下がって一般的な検査になるらしい。

ヒトは遺伝子に対して肯定と否定を両立させる。疾患や原因不明の病気、アレルギーの治療を期待するが、不老不死には否定する。食物の遺伝子に対しては、否定的な意見が多い印象を持っている。

科学はすごく身近な存在であると感じるけれど、感じるだけでは理解できない。理解できない知識と対面すると、自分を納得させる理由が求められる。そのとき、科学は倫理や哲学へ論点を変えられてしまう。あるいは、感覚で判定される。自然をコントロールしていると錯覚するから自然破壊と口にできる。錯覚は時に傲慢を招く。他方、錯覚は未知へ挑戦させる。錯覚は素敵な感覚。

2010/03/23

合宿

2010.03.20 - 22 晴れ雨曇り 黄砂

03/19 05:54の列車に乗って大阪へ。土曜日の06:00すぎの電車が満員だったので驚いた。みなさんどこへ行くのだろう。07:20頃長居に到着。近くのファストフードで朝食。集合の09:00までゆったりすごす。学生たちが公園へ続々と入っていく。

09:00長居ユースホステル到着。合宿開始。初日21:00終了。F先生とK先生と近くの銭湯へ行き、帰りに一杯ひっかけて宿舎へ戻る。銭湯を出たのが22:10頃。門限は23:00。

03/21合宿2日目。09:00開始。19:00すぎに終了。全員で食事へ。

03:22合宿3日目。09:00開始。12:00終了。昼食で打ち上げ。

自分の進行は拙かったので、F先生をはじめ全員へ戸惑いを与えた。そんな環境下、F歯科医院のワークはすばらしかった。感激した。「みんなが当たり前と感じて共有した概念や行動が、実は共通の認識ではなかった」点を浮き彫りにするプロセスを垣間見られて静かに興奮した。

目の前に1本のペットボトルがある。全員が360度から眺めて、1本のペットボトルと認識しているはずだ。でも、現実は違う。裏側を見えていなかった。役割によって見え方が異なるから。現場の役割と個人の感じ方は見える方向と角度へ影響を与える。ラベルの商品名を読んでいる人、成分分析表を見ている人、それぞれ。みんな、ラベルも成分分析表もすべて見えていると思っていた。それが違った。

「当たり前を徹底的に疑い、他者の認識を問い続ける」という認識に立ったとき、視点と着眼は劇的に変わる。視点と着眼が変わると、表現は洗練される。50や100の言葉を紡ぎ、それから削り落とす。言葉を出力する作業は過酷だけど、削り落とす思考は苦痛。言葉を継ぎ足すよりはるかに厳しい。

教科書に載っていないことを実践する。先人がいない領域を選ぶ。誰も教えてくれない。正解はない。禅と日本文化 の書評で書いたように、「"分別"それ自体が分別」であり、不立文字の実践である。自分たちの医療を名付けたり分類したりできないし、知ることもできない。ましてや、自分たちの医療の到着地を訊ねて教えてくれる人はいない。用意された意味はない。すべては現場にある。

自分は一人なのでF歯科医院のような仲間はいない。今回の合宿でその事実を観察して再確認した。羨ましい気持ちと自分は自分という冷静な気持ちが両立していたことを発見できた。それがとても嬉しかった。また変化した自分を認識できた。

拙い進行なのにそれらに不満を表示せず、事前に表明していた水準までほぼ達成したことに感謝します。そして、自分の中で一つの区切りができたと思います。ほんとうにありがとうございます。

2010/03/20

接近

2010.03.19 晴れ

朝、起きて日が昇り始めた頃、目が少しかゆくなってきた。昨日も同じ症状だった。花粉症の一つかも。鼻づまりや涙目はない。佐知's Pocket のスコーンを一つ食べた。美味しかった。豆乳の生地でトマト&バジル。1個128円。すごく贅沢な朝食。

午前中、F社のページ制作。制作までいかないかな。導線の設計と表現や図の見直し。直帰率を減らして問い合わせを増やす方法を考える。午後からS社のページを制作。その後、サーバのメンテ。残りは合宿の準備。

夜、単語へ接近する仕方を考える。たとえば、命と生命。両者を同義で使う人は少ないと思う。では、聞く人は意味をどう受け止めるのだろう。すごく興味がある。前者を文学的に心象する人や形而上学や倫理の方面から接近する人がいると思う。あるいは、身近な存在と関連させて具体的な事例を求める人もいるだろう。範囲を定めるとしたら、ヒトを基準にして意味を考える。その確率が高いと思う。

後者は? 生命と聞いた時、科学から接近する人はいる。宗教とか。抽象的な心象を持つ人もいるはずだ。範囲を定めるならヒト以外の生物も基準に入る。生命の誕生、なんて聞けば、赤ちゃんを思い浮かべる人や細胞を脳裏に描く人がいる。また、前後の文脈によって接近の仕方はころころ変わる。

相手が何かを伝えたり、説明する時、その人が使う単語とつなぎ合わせた文章は、どこから接近して製造されたかなんて検討しながら聴けるだろうか。自分には難しい。極端をイメージすると、理系の知識を持っていない自分と科学に精通した人が会話するとき、一つ一つの単語の意味を辞書のように解釈してやりとりしたら会話は成立しても通信の送受信は成立しないだろうなぁと想像する。

そんな風に思い巡らすと、コミュニケーションは成立する確率は極めて低く、むしろ成立したら珍しい現象であると感じる。実際、会話の様子を録音して、後から文章にしようとすると、どうしてこの単語のやりとりで理解できたのか不思議でしょうがいない。自分のしゃべっている内容を後から聞いて愕然としたり。一体、何をしゃべってるんかさっぱりわからない。だから、自分が混乱した箇所で質問が出ていなかったら、相手は何を理解したのかで頭が埋め尽くされる。

単語に接近する仕方。周りの人は単語に対してどの方角からどの角度で侵入するのだろう。

2010/03/19

五識

2010.03.18 晴れのち雨

両足の脹脛と左足の太腿の痛みは完全になくなった。油断してはいけないので負荷のかかりそうな運動や急な動きへ気を配る。運動する自分の姿を脳内でイメージする時、基準は10,20代の体力であり、残像を追っかけている。残像というより願望かな。なのに現実の躰は30代後半だから、そのズレが部位を破壊する。頭が躰を制御していない。

M先生のブログの仕上げ。4,800枚の写真を確認した。99%完了したが、2,3枚の処理について先生の指示を仰がなければならない。とても勉強になった。4,800枚のうちネタやジョークの写真をのぞけば、残りはM先生の記録。記録を分析して行動や特徴を推論できるし、別人となった自分と対話できる。写真技術の観察も可能だ。

夕方からDB制作。20日からの合宿に備える。

合間に 佐知's Pocket へ行き、スコーンと総菜を買った。素敵なお店。自分の周りで手作りを目にする機会が増えてきた。とても嬉しい。とても楽しい。手作りは価格を表現している。高い安いじゃない。価格が事実であり、理解を促す。数字であり、コミュニケーションでもある。自分の財力では、たくさん買えない。だからじっくり選ぶ。そして、買った物をちゃんと味わえるよう努力する。ちゃっと使えるよう努力する。長く持ちたいから保守作業を心がける。

手作りのデザインを実感できた時、嬉しい。作った人の物は目の前にある。でも見えていない間、実感は訪れない。想いを受け止められるような繊細な精神を持っていない。設計を理解したいと願う。

夜、SCHOOL OF LOCK! のやましげ校長が退任を発表した。2,3年前から聴き始めた。夜の楽しみだった。びっくりしたしショックだった。掲示板は落ちた。書き込みが殺到したのかな。電話口でしゃべるリスナは10代。みなさん気持ちを伝える。言葉がシンプルでとても感情的で羨ましかった。素直だ。素直はもっとも難しい。

ラジオの沈黙は漆黒の闇に似ている。宮古島で夜を体験した時、目が慣れるまで何も見えなかった。音が聞こえることが当たり前だと認識していると、突然音がなくなると、躰は反応する。沈黙の時は数十秒なのにとても長く感じる。沈黙の間、やましげ校長の状態を想像して、次に聞こえる声を予測する。その自分を観察したとき、自分はもう素直じゃないな、と気づいた。現在を勘ぐる、未来を予測する。時に必要であるけれど、素直にはいらない能力だ。邪魔にすらなる。

2010/03/18

扼腕

2010.03.17 晴れ

左足脹脛の嫌みもほぼなくなる。朝、支障なく起きられた。安堵。ひょこひょこ歩かなくてよくなったのでうれしい。洗濯物を干して光の当たり具合を観察していると、太陽高度が高くなったと実感できる。

午前中、M先生のサーバへアクセスして整理。ちょっとずつ進めてきた作業も明日で終わりそう。今回の作業はとても勉強になった。時間の変遷。記録。記録は成長の源泉だと思う。記録は過去の自分と出会う。別人の自分。過去と現在の差異を吟味する土台が記録だと思う。記録は記憶でもよい。ただ、記憶を自在に引き出せる能力を備えていなければならないので、自分はその才能を持ち合わせていないから記憶だけだと差異に気づけない可能性を残す。記録する。

午後からDB制作。デジタルカメラから画像をインポートしてそれを画像データベースへ格納して、画像をフォルダ別に保存して、最後はインポートした画像を消去する、この一連の流れをFileMakerのスクリプトで自動化できる。ああ、そうかこういったアイデアを考えるのか。MacならAutomatorで作成できるかもしれない。この画像データベースとPHPを組み合わせて院内LAN用のCMSを制作できるなぁと想像したり。楽しい。

『TRUCK & TROLL』 森博嗣 を読み終える。先生の著作を読み続けてきた。内容がだんだんかみ砕かれてきたような印象。わかるとは異なった感覚。言葉で説明しにくい理解の行程を経て納得していると自己評価。文章を読むと、そうなんだよと頷く。その回数が増えたということ。つまり、読者が読みやすいように先生がかなり加工しているのかなぁと思う。そこが物足りない、否、悔しい気分。文章を理解?!しても、それは単語と単語の接続を読んだだけだと思う。それよりも、文章を書くきっかけになった視点を自分はどうしてひらめかなかったのかと気づかされる点が大切だと考える。その気づきが少なくなった。ああ、たぶんこの展開だろうなぁと予測できるあたりが嫌。でも、『自由をつくる自在に生きる』 森 博嗣 や日記やエッセイを読んで先生の凄みを何度も痛感。それは引用がないこと。これは凄みより背筋が寒くなる。自分の言葉で考え自分の言葉を出力する力量。

夜、差別と区別と道理を調べる。全体の中にいる全員を満足させるのは不可能だ。効果の高低と優先順位を検討した上で時間軸の長短を加味して選択しなければならない。すると、選択されなかった方へ焦点を当てられる。世間の耳目を集め、関心が高まる。関心が高まれば、広告を集めやすくなるので、報道の価値が再考される(と思う)。

選択されなかった方へ焦点が当たる機会は増えたと思う。あれもこれも選ばれない。差別されている。あっちは採用されてこっちが採用されないなんておかしい。それらエネルギーを伝える。

そして、それらの活動の中から一つでも選択されたら? 報道が支援したと受け止められる。選択されなかった方と報道はますます強く結ばれる。

その結果、安心してぶら下がられるようにしてほしい、と願い、でも、代償を支払い約束を果たすことは拒否し、管理と監視も拒絶する、で、苦情が跋扈できるシステムになったなぁと思う。

2010/03/17

接心

2010.03.16 曇り時々晴れ

朝起きると、左足脹脛の痛みが残っていた。右足脹脛と左足太腿裏側の痛みはおさまった様子。相変わらず歩き方はヘン。室内をひょこひょこ歩く。球根のチューリップがアピールしてる。ぐんぐんのびますよって感じ。まさに日に日に大きくなっている。

午前中、F社のページ制作とサイトのコードを調整する。どのページへランディングしているかアクセスログから分析している。ランディングページをゼロベースで眺めたとき、違和感を覚えたら、その感覚を記憶して制作へ反映させる。運営者や制作者の意識はサイト全体へ向けられる。サイト全体とページ単位を比較したとき、後者へ注意が払われる。統一感や一体感を演出する。それはとても大切であるが、個々のページを精査してリファインする必要を強く認識する。検索エンジン経由でアクセスするユーザがほとんどんだからだ。それらユーザは初めに到着したサイトの情報と質感から要不要を判断する。仮にそのページの重要度が低いとしたら、その基準は運営者の視点であって、ユーザは知らない。関係ない。だから、情報やナビゲーションを省略するとユーザは即座に別のサイトへ移動する。そういった点を考慮してランディングする確率が高いページと重要度のバランスを測る。

午後からF先生のDB制作。書籍を見ながら制作。2/3を終えたところで自分が何をやっているのかわかることと何をやっているのかまったくわからないことを区別できるようになった。ようやく両者を識別できた。スタートラインへ立てたと思う。サイト制作を独学している時も同じ。一番最初に制作したサイトは見よう見まねというか、書籍を読みあさってトレースした。何をやっているかまったく理解していないのに制作できた。物作りを重ねると要諦を少しずつ把握できるよになる。それから改めて書籍を読み直したり検索で調べた情報へアクセスすると、意味や伝達内容をはじめて理解できる。

夕方、近くの書店で 『信念を貫く』 松井 秀喜 を購入。その後、イオンで買い物。昨年、『きょうの料理』で使う材料の目安の表示が4人分から2人分へ変更された。イオンはまだそういった概念を承知できないみたいだ。否、承知できたとしても、受け入れられないだろう。人数分関係なく安い食材を大量に購入する家庭は多い。かたや戸惑っているような気配を見せる老夫婦や子供のいない夫婦、あるいは単身者を観察できる。前者は売上に貢献し、後者は利益に貢献すると推測している。いかがだろう。

帰宅後、引き続きDB制作。おもしろくなってきた。DBの概念や技術構成、コードを勉強しなければならない。と納得した上でアイデアだなと痛感。こんなDBを作れば業務が効率化されるとかユーザが喜ぶと考える視点が大切だ。

夜、『信念を貫く』を読了。とてもよかった。前回の 『不動心』 松井 秀喜 やファイルサーバに保存してあるインタビューで何度も登場する「コントロールできることとコントロールできないこと」。このフレーズが今回も登場した。自分の状態をだれより分かっているのは自分自身であるからこそ、自分の状態をよい方向へ維持できるように最善を尽くす。

プロであること。仕事であること。好きなことをやっていること。周りへの感謝。ONとOFFが明確なビジネススタイルでも、常識では考えられない時間に平気で交渉する代理人とGM。

仕事をしているか? と自問。

2010/03/16

僻説

2010.03.15 曇り

脹脛と太腿の痛みは続く。両足がO脚で膝を曲げて室内を歩く姿を奥様が見てからかう。へんな歩き方と自覚しているのに躰が勝手にその姿勢をとる。

Amazonから『FileMaker データベース開発テクニック 改訂版 Pro 10 Advanced & Server 10 Advancedの最新活用術』 木下 雄一朗 が届いた。手元にある『FileMaker Pro10一目瞭然』 西村 勇亮 と、F先生からお借りしている『開業医のためのFileMaker Pro実践活用術』 鷲沢 直也 をあわせて3冊。これらを03/20-22の合宿へ持って行く。合宿ではファシリテーションしながらDB制作する予定。どんな合宿になるか。タイムテーブルを用意していない。毎日、頭の中で数パターンをシミュレーションする。スタッフの方々の自律分散的な行動を観察したい。

テレビのコンセントが抜かれて生活が変わったかというとどうも変わっていない。ネットの恩恵だろう。あえて変わったといえば、ニュースを映像で視る機会がなくなったので文字情報から映像を想像しなければならなくなった。テレビのニュースは音声と映像を同時に伝える。ネットのニュースはほとんどが文字情報なので、書いてある事柄を映像へ転換しなければならない。事柄の現象を把握する手順が増えた程度か。新聞を読むのと大差ない。

ニュースは不思議だ。社会面と政治面を削れば、理解したい記事の大半は、その記事からでは理解できない。書いている本人が理解していないからと推測している。極端な思考を展開してニュースを読むと、ニュースを読む行為自体が生活の余分であるように思える。必須科目ではないと確認。

自分のライフスタイルの中心にあるメディアの優先順位は第一がネットで、第二がラジオ。第三が書籍。最近、ラジオとTwitterの相性が良いように感じる。ラジオのDJのつぶやきがプログラムとリンクしていておもしろい。東急ハンズの完売御礼の気持ちを理解できるような。上島珈琲店なうの見事な炎上鎮火にも納得。鳩山首相をフォローしたら数週間後にフォローしましたなんてメールがポストされて驚くし。

ヒトを二分すると、与える側と与えられる側に分けられる。Twitterでも同じで、自分のように与えられる側もいれば、数千・数万単位でフォローされる人がいる。与える側の人たちだ。与える側は表現する内容を持っている。また表現する内容を獲得すべく行動する。与える側の人はどのような器(TwitterやBlogやYouTube.....etc)を与えられても表現できる。

他方、自分は与えられる側なのに与える側の器を手に入れてしまったばっかりに、その器の使いこなし方に苦労して、内容を表現していない。善悪優劣の判定ではない。たぶん視点の差異だろう。それと演技力。

2010/03/15

熱鬧

2010/03/14 晴れ

朝、目が覚めて起きようとしたとき、両足の脹脛と左足の太腿の裏側が痛かった。激痛。03/12(金)、M先生から食事をごちそうになった後、大阪駅でダッシュしたのがまずかったらしい。しかも、プラットホームを間違えたので階段を2往復した。許容範囲を超えたらしい。03/13(土)にO先生と会っている時から悲鳴をあげていたのを無視したら、躰が怒ったみたいだ。筋肉痛というより肉離れみたいな感じで激痛(といっても肉離れを経験したことないのでわからない)。

というわけで、こういう時は仕事しかできない。午前中、S社のサイトのコード調整。午後からF先生のDB制作。イスに座ると痛いのでMacBook Pro(Late 2006)をリビングへ持って行った(と書くと洒落ているような気がするけれど、5歩程度の移動)。

『隣の病い』 中井 久夫 にある『「頑張れ」と「グッド・ラック」』という表題の寄稿を読んで、「待つ」を考える。先生によると、「待ちの政治」ならぬ「待ちの治療」というものがいちばん難しい、との由。本人と家族と治療者の呼吸を合わせることが、治療の一つのポイントであり、そのために「待つ」こともある。

「待つ」はその後に「想い」が付与される。待ち焦がれる、待ち遠しい、待ち侘びる、待ち惚け、待ちくたびれるなど。でも、自分は「待つ」が持つ「想い」を使いこなせてない。「身」も同じ。身につまされる、身を焦がす、身を砕く、身を粉にする、身を持ち崩す、身を焼く、身を沈めるなど。躰の部位へ動詞を付ける単語がある。豊かな表現は辞書に隠れている。それを使う自分は隠れた単語たちを見つけられないでいる。語彙力が乏しいのか、思考の仕方が貧しいのか。どちらも正解と自己評価。

ミーティングへ参加すると、言葉のUFO CATCHERと出会う。長方形の箱の中に言葉がたくさん詰め込められている。それらの中から適切な言葉を拾いたいのに拾えない。そんなもどかしさが顔に現れる。頭の中に映像がある(かもしれない)。その映像を誰も知るよしもない。三次元を二次元に変換して紙に出力できれば、伝達効率は低下するかもしれないけれど、意思の疎通をはかれる。変換能力と才能に乏しい自分は、やっぱり言葉で表現する。愕然。

「待つ」。時間を直線で認識する、過去・現在・未来とシークエンスに捕捉したい要求から生まれた言葉かなと想像する。捕捉した現象へ感情が込められる。時間と向きあう人たちの感情。時間はランダムでもよいはずなのに。理解できないからだ。時間は記憶とリンクする。記憶はクロノロジーからパースペクティブに移行して最後は一枚のピクチュアなる、と鷲田清一先生は書いていた。そのとき、言葉はいらないのかもしれない。

前後も遠近もない一枚の絵。その絵は、伝達効率を一切考慮しなくてよい自由自在の証。

2010/03/14

滂沱

2010.03.13 雨のち晴れ

三寒四温。そろそろ終わるかとの期待を裏切るような天気が続く。自宅は外より寒い。部屋の感覚のまま上着を着込むと外で風邪を引きかねない。だから、一度ベランダへ出る。ビル風が吹いているので寒いからその感覚で着込んで大阪や神戸へ行くと、辛口のカレーを食べた後みたいな顔になる。

早朝、起きると奥様からメールが届いていた。添付の写真を見た。安心した。義母と一緒に映っている。五個荘雛人形を見に行って、義母が女雛で奥様が男雛の格好をして撮影して貰ったらしい。来月は百か日。早い。3ヶ月前、義母と奥様は最も近い存在と永別した。何を考え、何を感じているのか。奥様を毎日観察する。わからない。自分以外の人が何を感じ、何を考え、何を見ているのか。慮る。自分とは全く異なる感受性であることを理解する。あたりまえに気づかされる。だから、「同じ気持ちだ」なんて云わない。同じ気持ちは決してあり得ない。単純ではない。自分が推し量れるような存在はない。

午前中、S社のページを仕上げてメール。昼過ぎに神戸へ。16:00からO先生とミーティング。京都で途中下車して私用を片付ける。神戸は暖かい。行きの列車の中で 『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』 鷲田 清一 を読了。「問題」を自分の「課題」として引き受けるということを避けている、というフレーズが印象に残った。

問題を課題として引き受ける「仕方」を知らないから避けているのか、それとも、「無関心」なのか。無関心は顔に現れることを顔に表した当人は知らない。当人以外の人しかその現象を認識しない。だから、無関心を顔に表した人は、自分の顔を見た相手の顔色を察知して自分の顔の表情を推測しリアルタイムで修正する。それが礼儀であり、礼節であると思うけれど、はたして礼儀作法を自分は身につけているかと自問すれば満点を与える自信はない。

16:00からミーティング。緊迫の時間。今回はO先生の医院ではく、書庫代わりのマンションへ案内された。部屋の医学書を拝見して興奮した。積み重ねられた医学書や専門雑誌には付箋が貼ってある。それをスキャンしながら打ち合わせ。常に質問されるフレーズ。「シンクセルさんはどう思いますか?」

ウェブの制作者へ訊ねていない。一患者へ訊ねていない。O先生は、ウェブ制作者と患者の中間点にいるシンクセルを期待している。その質問を受けるたび、積み重ねてきた歯科への知識を捨て、患者の視点とウェブの視点の接点をさぐって応答する。

18:00すぎに終了。疲れた。ぐったり。お気に入りのパン屋へ寄る。O先生の医院へ来たら立ち寄るお店。お店の中に9人の女性と1人の男性。男性はPOTERの黒いバックパックを背負っている。バックパックの中身は黒のMacBookが入っている。黒のケースに入れて。黒のmoleskineの手帳が3冊。他に黒のGR DIGITALやiPhoneが入っている。オドオドしながらパンを吟味し、リュックが周囲の女性やトレイに当たらないか気になりっている。その気になり方が挙動不審に映っていないか、気になってさらにオロオロしている。パンの選択と女性たちへのキョロキョロの比率は1:9。パンを選びに店へ入ったのか、女性たちの前でオドオドしたくて入ったのか、パンを選びながらわからなくなってきている。レジの前の列は女性6人。男性は最後尾。財布を出し千円札をつかむ。代金を支払いお店を出る。おそらく男性は2時間のミーティングより疲れただろうと推測される。

帰りの列車で 『われわれはなぜ死ぬのか―死の生命科学』 柳澤 桂子 を再読。死の多様性。ヒトが単語で定義した死は、生命活動の終わり以外に何を説明するのだろう。36億年の時間。時間の中で生まれた死の起源。