2010/03/14

滂沱

2010.03.13 雨のち晴れ

三寒四温。そろそろ終わるかとの期待を裏切るような天気が続く。自宅は外より寒い。部屋の感覚のまま上着を着込むと外で風邪を引きかねない。だから、一度ベランダへ出る。ビル風が吹いているので寒いからその感覚で着込んで大阪や神戸へ行くと、辛口のカレーを食べた後みたいな顔になる。

早朝、起きると奥様からメールが届いていた。添付の写真を見た。安心した。義母と一緒に映っている。五個荘雛人形を見に行って、義母が女雛で奥様が男雛の格好をして撮影して貰ったらしい。来月は百か日。早い。3ヶ月前、義母と奥様は最も近い存在と永別した。何を考え、何を感じているのか。奥様を毎日観察する。わからない。自分以外の人が何を感じ、何を考え、何を見ているのか。慮る。自分とは全く異なる感受性であることを理解する。あたりまえに気づかされる。だから、「同じ気持ちだ」なんて云わない。同じ気持ちは決してあり得ない。単純ではない。自分が推し量れるような存在はない。

午前中、S社のページを仕上げてメール。昼過ぎに神戸へ。16:00からO先生とミーティング。京都で途中下車して私用を片付ける。神戸は暖かい。行きの列車の中で 『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』 鷲田 清一 を読了。「問題」を自分の「課題」として引き受けるということを避けている、というフレーズが印象に残った。

問題を課題として引き受ける「仕方」を知らないから避けているのか、それとも、「無関心」なのか。無関心は顔に現れることを顔に表した当人は知らない。当人以外の人しかその現象を認識しない。だから、無関心を顔に表した人は、自分の顔を見た相手の顔色を察知して自分の顔の表情を推測しリアルタイムで修正する。それが礼儀であり、礼節であると思うけれど、はたして礼儀作法を自分は身につけているかと自問すれば満点を与える自信はない。

16:00からミーティング。緊迫の時間。今回はO先生の医院ではく、書庫代わりのマンションへ案内された。部屋の医学書を拝見して興奮した。積み重ねられた医学書や専門雑誌には付箋が貼ってある。それをスキャンしながら打ち合わせ。常に質問されるフレーズ。「シンクセルさんはどう思いますか?」

ウェブの制作者へ訊ねていない。一患者へ訊ねていない。O先生は、ウェブ制作者と患者の中間点にいるシンクセルを期待している。その質問を受けるたび、積み重ねてきた歯科への知識を捨て、患者の視点とウェブの視点の接点をさぐって応答する。

18:00すぎに終了。疲れた。ぐったり。お気に入りのパン屋へ寄る。O先生の医院へ来たら立ち寄るお店。お店の中に9人の女性と1人の男性。男性はPOTERの黒いバックパックを背負っている。バックパックの中身は黒のMacBookが入っている。黒のケースに入れて。黒のmoleskineの手帳が3冊。他に黒のGR DIGITALやiPhoneが入っている。オドオドしながらパンを吟味し、リュックが周囲の女性やトレイに当たらないか気になりっている。その気になり方が挙動不審に映っていないか、気になってさらにオロオロしている。パンの選択と女性たちへのキョロキョロの比率は1:9。パンを選びに店へ入ったのか、女性たちの前でオドオドしたくて入ったのか、パンを選びながらわからなくなってきている。レジの前の列は女性6人。男性は最後尾。財布を出し千円札をつかむ。代金を支払いお店を出る。おそらく男性は2時間のミーティングより疲れただろうと推測される。

帰りの列車で 『われわれはなぜ死ぬのか―死の生命科学』 柳澤 桂子 を再読。死の多様性。ヒトが単語で定義した死は、生命活動の終わり以外に何を説明するのだろう。36億年の時間。時間の中で生まれた死の起源。

0 コメント: