12月26日の夜、数年前からのばしていた顎髭を剃った。剃らなければならなかった。違う。26日の夜明け前、剃りたくなった理由が自分のもとへ訪れた。
10月の上旬、義父の病が判明した時、義父と妻は死を迎える側と死を待つ側へ立った。自分は傍らで二人を眺めていた。自分ができることはひとつ。待つことだった。それからの日常はすべて一期一会。非日常と日常は無くなった。刹那の集合体。妻はひとつひとつ、一瞬一瞬を迷った。あらゆる出来事へ戸惑っていた。期待と絶望が同居する奇妙な空間に身を置いた妻。一晩中、泣き続け、毎日泣いた。微笑みは消え、そのかわり脳が刺激する強制的な笑顔を手に入れた。機械的な笑み。
妻の傍らで自分はずっと待っていた。感情を待つ。行動を待つ。判断を待つ。妻から娘へ変わってゆく。待つ。結婚して10年。全く異なる次元の待つだった。何をやっても後から後悔する。それを肝に銘じて待った。
当初の医師の見立ては1年以内。それが、来春、ついに年内と変わっていった。すさまじい速度で見立ては変わる。そのたびに怒りと諦めが家族を襲い、恭順が家族を支配した。義母と妻は医師へ感謝の念を述べ、指示に従う。傍らの自分は怪物患者の気持ちをわずかに理解した。
命は有限である。命は数字に置き換えられると、有限の意味は抽象概念から具体的記述へと書き換えられる。命が数字になった時、治療から解き放たれる。にもかかわらず、医師と家族は治療から脱獄できない。家族は希望を持ち、医師は最善を尽くす。
数字になった。もう治療ではない。でも家族は治療だと信じたい。治療でないと認めたくない。認めると死神がやってくる。そして、死が身近な存在であると急速に認識させる。認識は感情を叩き起こして、暗涙にむせぶ。涙は妻を時から放ち、束の間の幻想を抱かせる。自分は毎夜妻の涙を見ていた。一晩中、涙がかれるのを待っていた。言葉を消去した。絶対伝えなければならない単語だけを選んだ。
12月25日、クライアントに悟られぬよう振る舞い、何度も携帯電話のディスプレイを確認した。自分の目に映るクリスマスの笑顔はモノトーンへ変わっていくけれど、すごく穏やかな気持ちで家へ帰った。久しぶりに妻と会った。
10年目のクリスマスを夫と過ごせと意識のない義父は娘へ伝えたかったのだろうか。そのプレゼントを贈ってくれた数時間後、自分は義父へさようならを告げた。




